(12/22)
ブログに書くかどうか迷っていたけれど、大切な友達のことを残しておきたくて。
オレの心房細動をカテーテルアブレーション手術で治療してくれた、チームメイトAさんが自転車練習中の事故で亡くなったのは、23年6月。その年のPBP(パリ~ブレスト~パリ)1,200km完走を目指していた。年齢は一個下で同年代。朝練で頑張る姿は皆の尊敬を集めていた。凝りに凝った自転車のセッティングも。ブルベ界では有名な方で、大山の「悪魔の左手」のコースを設定し、管理していた。
亡くなった時、チームメイトは追悼と自分の心の整理をするために、自分なりに様々なことをした。フッキーさんは悪魔の左手コースを初めて走って制限時間内完走したし、オレはヒルクライムレースのコースにチョークで彼の名前を書いた。リーダーのパンタニさんはそれを見てパワー下さい!と心でつぶやき1名抜いた。8月、HさんとSさんは、彼の写真と共にPBPを走った。
それから1年と半年。その間自分は御家族の素晴らしさに敬服し、また彼が縁で自転車仲間が増えていた。
今回、お兄さんのU木さんが、大山山麓の彼の家から膨大なパーツ類を境港に持ってきて整理して、形見分け会を開いてくれた。整理するのには相当な時間(20時間位?もっとかな)が掛かったはずだ。初め連絡をもらって訪問した時もある程度は整理されていたが、これでは選ぶ方も大変で収拾つかなくなりそうだった。なにせ自転車店が開ける位の、いや個人商店だったらこんなに在庫ないぜっていう位の量なのだ。チームメンバーで手伝って、もっと整理してから会を開きましょうと提案したが、それは自分でやるよとおっしゃって。オレの役割は自転車仲間への連絡係。週前半での天気予報は降水確率70%、気温5℃、風速3mだったが、開催した。当日はそこまで荒れた天気にはならず、時々晴れ間もあった。13時に始まる前お墓に行って、天気を良くしてくれた御礼を言った。
集まった自転車仲間は計6名。AJ広島代表が片道4時間以上かけて来てくれたのには驚いた。思い出話をしながら、引き継ぐものをそれぞれが選んだ。俺は当日来れなかったメンバーから頼まれたベル等の小物類と、自分にはセライタリアのサドル、自転車輪行用の箱をもらった。「こんなにパーツ持って、貴方はどこに向かおうとしていたん?(笑)」とツッコミながら。彼とは欧州遠征についての話ばかりしていた。もっといろんな話を聞けば良かったよな・・・
皆の、Aさんの意志と共に走りたいという気持ちは、自分が想像していたよりも、ずっとずっと強かった。彼と、御家族のことを、再びリスペクトする日でした。自分は15時過ぎに帰ったが、解散は17時頃だったそうです。
Aさん、貴方に助けてもらった命で、人生を生き抜き、楽しみます。
ありがとう。