弓浜絣は、江戸時代中頃から、200年以上歴史のある、境港、米子の弓ヶ浜沿岸地域特産の織物。1975年に国の伝統的工芸品に、1978年に鳥取県指定無形文化財に指定された。弓ヶ浜の伯州綿栽培と共に発展し、素朴な文様やざっくりした風合が特徴。農家の人の「自給衣料」。仕事着、普段着が本来の目的だ。(境港市ホームページ他からまとめました)
ブルースがミシシッピの綿畑プランテーションで生まれた音楽だから、境港の伯州綿と思い込みで重ね合わせ、2018年引っ越してから余り時間を置かずに、弓浜絣で着る物がほしいと思うようになっていた。和服は着ないし勿体無い。コースターとか日用品ではなく、着る物で。インターネットで調べたり、デパートのイベントや博物館、販売店に行った時に尋ねたりしていた。
でも洋服は、女性向けだけ。
永見呉服店さんが絣の古布を一部使ったベストを販売しているので、試着させてもらった事もある。ボタンが左側についている女物でそれは良いとしても、サイズが小さくて合わなかった。絣職人さんは反物を作って販売するのが本来の仕事で、売れない男の服をわざわざ時間を割いて作らない、と教えてくれた人もいた。そりゃ、そうだよねー。
2021年、仲里さんにフルオーダーで作ってもらった伯州綿のシャツは、「着て、洗って」を繰り返すと、さらに体に馴染んで、もっと心地良くなっていた。暑い時も寒い時も何故か快適で不思議なシャツ。
シャツと合せるベストがやっぱり欲しいなあ。ベスト、最初の頃はチョッキと言っていたが伝わらないので言葉を変えたっけ。
着物好きなランブルの女将さんと、祖母から受け継いだ弓浜絣の話をしている時、やってくれる人を紹介できるかもしれないと。山陰の工芸品、手仕事展のコーディネイターさんを経由して、紹介して戴いたのが、ごとう絣店の後藤和文さんだった。えっ、有名な職人さんですよね? 良いんですか? と驚いた。以前一度米子駅近くにあったお店に行った事もあったし。その時本人はいらっしゃいませんでしたが。今回はちょうどJU高島屋で「山陰の匠展」をやっているから実際に会えますよって。タイミングがラッキーだった。人生ではそういう事が時々起こる。躊躇して逃しちゃいけない、そういうチャンスだ。
自己紹介して、お互い、いろいろ話した。コーディネイターさんは同席してくれた。後藤さんが、大病から復活された話は、凄かった。凄まじいリハビリだったろう。自分が病歴の多い男で、かつ後藤さんと同じ病気になった人を2、3人知っているので、ある程度は想像できる。飄々と話されていたが、俺とは根性の座り方の次元が違う。
この人が作った服を着たい。仲里さんの時とは違うアプローチだが同様な気持ちになっていった。今回は大まかなトコだけ決めて、生地やデザインなど詳細は、全てお任せにした。その方が良いモノになるって、話して思ったのだ。
その場で身体のサイズを測り、後日普段自分が着ているニットのベストを渡してサイズ感を把握するのに使ってもらう。
そして、予定通りの6ヶ月後。出来上がったからJU高島屋に受取りに来てと連絡があった。絣のデザインは、藍と白が混じりあった明るい色のやわらかい風合で、伝統的な藍に絵柄模様より、いろんな服に合いそうだ。その場で着てみる。サイズバッチリ。
受け取った後、別の買い物をしてから、後藤さんに御礼の電話をした。既にコーディネイターさんから連絡があったようだった。喜んで下さった。男物は作務衣を除いて、初めて作られたそうだ。このベストは自分の作務衣と同じ生地だから、ネットに入れないで洗濯機で週2回洗っても大丈夫だと。そう聞いても昨日洗った時はネットに入れちゃったけど w
翌日は、港珈琲井川で「きもの市」をやっていたランブルの女将さんに見せに(自慢しに)行って、御礼した。藍が枯れるまで(初めて聞いた表現)洗う時は色落ちに気を付けてと教えてくれた白ネコさん。「きもの市」の撮影にきていた写真の名手Iちゃんが俺の写真も撮ってくれて、さらに良い記念になった。
シャツの仲里さんにも写真を送って、伯州綿シャツと弓浜絣のベストの相性が非常良いですねと感想をもらった。
境港に来て5年。人々の繋がりがあってこそ、着ることができたベスト。大切に、普段使いでガンガン着ようと思います。
(2024年4月8日追記)
初めて会ってから1年後。JU米子高島屋で開催された山陰の匠展で、後藤さんに会いに行った。脳梗塞から復活し職人を続けている先生は変わらず元気だった。今年は73歳。なんと新たに男物のシャツを出品されていた!チャレンジしてるなあ。柄と生地の風合いがなんともいえず良い感じ。羽織らせてもらったらMサイズが自分向きだった。心が揺らいだ。なんとか我慢した(笑)