クランクブギ CRANKBOOGIE

自転車と、ブルースと、旅と。

2022年9月3日22時36分

その日は、大阪→東京キャノンボールに向けたトレーニングで中海北部周遊サイクリングコースを12時間走ろうとしていた。19時から2時間仮眠。22時30分江島ファミマの交差点をスタートした。夜間走行なので、反射材の付いた蛍光イエローのベスト、ヘルメットと自転車の2つのテールライトを点灯させて。フロントライトも2つ。何台かの車が俺を抜いて行った。

そしたら病院で治療を受けていた。肉がえぐれた切り傷の縫合をされていた。状況を把握するまでかなり時間がかかった。医師が俺がひき逃げにあって右足首と骨盤を骨折したと教えてくれた。警察の人もいた。後ろポケットとサドルバッグに入れていた免許証のコピーに緊急連絡先と血液型を書いたメモが役に立ったようだ。既往症は?の質問にブログの「やらかした記録」記事をスマホで開いて見てもらった。

しかし自分には、車にはねられた時の記憶が全くなかった。ERで一晩過ごした翌朝、医師にもう一度確認するまで事件が起きた事が曖昧な感じだった。その後ネットニュースや地元紙に報道された。ひき逃げした男は、自分の車のフロントガラスが割れタイヤがパンクしたにも関わらず、自転車と衝突したとは思わなかったと、容疑を否認していた。

入院2、3日後の夜、うつらうつらしていた時、誰かに補助されながら割れたフレームから足を抜こうとしているような残像が頭に現れた。もっと思い出せるかと集中したが、それだけで終わった。

 

事件後1ヶ月が経ち、警察の方から概要を聞く事ができた。事件の現場は江島から本庄に向かう干拓道路の直線。時刻は22時35~36分。男は通常ではあり得ない高速、時速約140キロで俺をはねた。警察では当たった所が違っていたら後ろに遠くはじき飛ばされていたか、中海に突っ込んでもっと酷い事になっていただろうと分析していた。俺をはねた後も減速せずに1キロ以上先まで進み、 左前タイヤのパンクが広がって自走できなくなってから止まった。JAFに連絡し、保険屋に連絡し、保険屋から警察に連絡しろと言われたので、警察に電話をしたと。それが自分から通報した事になっている。

そう聞いて、非常に暗い気持ちになった。

 

助けてくれたのは後続の2台の車の方だった。道端に転がっていた俺を見つけ、自分の車を安全な場所に移動させてから、安全確保や通報をして下さったそうだ。本当に感謝しています。そしてこの時、俺は「ひき逃げされた」と自分から伝えたのだそうだ!

悔しかった。その時、意識はあったんだ。

救急で対応してくれた主治医も、俺が記憶している前から普通にしゃべっていたという。

ではなぜ、この記憶を失くしてしまったんだ? 2回目だ。高校生の時車にはねられて大腿骨骨折した時も事故瞬間の記憶はない。できるなら、今回だけでも思い出したい。

 

覆水盆に返らず。