クランクブギ CRANKBOOGIE

自転車と、ブルースと、旅と。

ラ・マーモットの ムッチャ、長い話  2015 

                        チーム・オッティモ 弦巻千尋

このレポートは所謂「完全版」で、16,000字以上あります。写真も多いので、お楽しみ下さい。そんな長いの読んでる時間ないわっ!という方は、シクロワイアードさんに掲載された、下記リンクの記事をご覧下さい。大まかな内容は変わりません。
 なお、2023年以降のエントリーは株式会社ルーセントアスリートワークス(LUC+ルクタスアドベンチャーズ)の久保信人氏に依頼してみてください。2016年、レースはガリビエ峠が入ったオリジナルコースに戻りましたが、2024年以降はガリビエ峠入りで少し変わるかもしれません。
http://www.cyclowired.jp/lifenews/node/174503

○ラ・マーモットって?
 毎年7月第一土曜日にフランスのアルプスで開催される、長距離市民レースの事。シクロスポルティフ、グランフォンドと呼ばれるタイプのイベントで、18歳以上なら誰でも参加可能。実業団のようなシリアスレーサーから、自分のように完走を目指す者まで、様々な楽しみ方ができる。
例年はラルプデュエズの麓の街、ブールドワザンをスタートし、ツールドフランスで数々の名勝負の舞台となったグランドン峠、テレグラフ峠、ガリビエ峠を経てラルプデュエズにゴールする、走行距離174km、獲得標高5,000mのコースだ。
  
だが、2015年はガリビエ〜ラルプデュエズ間のトンネルが崩落により通行不可となり、ブールドワザン〜グランドン峠〜モンヴェルニエのつづら折り〜モラール峠〜クロワドフェール峠〜ラルプデュエズという、走行距離176km、獲得標高5,200mの特別コースとなった。当初ガリビエ峠が外れてガッカリしたが、結果的にはガリビエ峠は二日前にのんびり走って満喫できたし、特別コースは、今年のツールドフランス第18〜20ステージを一つに凝縮したようなものだったので、テレビ観戦がとても楽しかった。
  
 誰でも参加できる、と書いたがコースは数字が示す通りタフなもので、今年も世界中から7,500人がエントリーして、完走者は4,679人。2,800人以上がDNFとなったわけで、しっかりした準備と練習は必要だ。
 
○ラ・マーモットに参加した日本人選手
 ラ・マーモットは日本での知名度はまだ低いが、世界的には大人気でベスト3には入る大会。毎年11月初旬の募集開始後あっという間にソールドアウトになってしまう為、ほとんどの参加者は各国のツアーオペレーターを介して申し込む。そうすると少し後から(たぶん2月位? 保証はできない)でもエントリー可能なのだ。日本では(株)ルーセントアスリートワークス、ルクタスアドベンチャーズの
https://www.lucent-runningclub.com/の久保信人氏がその権利を持っていて、現地でのコーディネイトや欧州での豊富なレース経験に基づいたアドバイスを受けることができる。
www.youtube.com

 久保さんを通じてラルプデュエズに集まった選手は4人。
 日立市イマイスプロケッツの斉藤さんは今年で日本人最多6回目の出場となる強者。日本人ではまだ5人しか走ったことがない、7日間の山岳ステージレース、オート・ルート(Haute Route)も好成績で完走されている。今年は早めに現地入りして短距離レースに参加し、新コースの試走をして入念に準備されていた。試走時の情報を我々にも伝えてくれて、これは本番でとても役に立った。ラ・マーモット当日が「大晦日」とも言っていた。つまり、趣味的な1年がこのレースを基準に回っていらっしゃる。この気持ちは参加した今、とてもよく分かります!

松戸市シクル・マーモットの近藤さんと、全国組織?ロングライドファンの加藤さんは、二人共漫画にもなったカリフォルニアのデスライド、距離207km、獲得標高4,572mを完走した実力者で、とても楽しい方々だ。二人共「やろう!」と思った事は、即、実行!という感じ。近藤さんは英語堪能で旅のいろんなシーンで通訳して戴いた。そして荻島美香さんと同時に初の日本女性選手となった。(「じこまん」第3巻)

そして自分、弦巻。このレースの存在を知ったのは2000年のゴールデンウィーク、一人でラルプデュエズにサイクリングに行った時。宿の主人、そして、現地で知り合ったサイクリスト、クロードさんから教えてもらったのだ。
d.hatena.ne.jp
その時期、標高2,642mのガリビエ峠はまだ閉鎖されていて登る事はできなかった。いつかガリビエ峠も走ってみたい。そうは思ったが7月に夏休みはとれないし、自分の実力ではそんなハードなコースは完走できないだろうから、8月の盆休みにサイクリングに来る手段だなと考えていた。その後2006年の8月にブルターニュの丘陵地帯を走る230kmのラ・ベルナール・イノーを完走した晩、久保さんからラ・マーモットに参加した時の話を聞き、挑戦したい気持ちが沸いてきたのだ。「ラ・マーモットの方がラ・ベルナール・イノーより何倍もキツイ。でもペース配分を気をつければ弦巻さんも完走出来ますよ」そう言ってもらえた。初めてシクロスポルティフに参加し、その面白さ、フランス自転車文化の奥深さ、を実感した日だったからこそ、だろう。
crankboogie.hatenablog.com
 参加できるなら勤続30年のリフレッシュ休暇か、その前後の年だろうな。9年後だ。帰国後、無理しない程度の貯金を始めた。JCRCのレースは長距離モノを選ぶようになり、1年のメインターゲットをツールドおきなわにした。まずは1回普久川ダムを登る80kmを完走し、次に2回登る120kmを目指そう、と。だが現実は甘くなく、連続DNF。回収バスの常連になってしまった。その間コースは100kmまで伸び、完走するまでのチカラとアタマをつけるのに6年かかった。そんなに拘るのは傍から見れば滑稽だっただろう。ラルプ・デュエズとラ・ベルナール・イノーを走った経験がモチベーションを上げ続けた。YoutubeやFacebook等インターネットで情報が手軽に入手できるようになったのも大きい。2006-2007年頃、日本語の情報はサイクルスポーツ誌に掲載された久保さんと馬場さんの記事位しかなかった。
 知り合いのラ・マーモット完走者は皆おきなわ120km以上を走破していたので、翌々年140kmに挑戦したが、2回目の普久川ダム関門で足切りになり、このレベルには到達しないと明らめた。ツールドおきなわ100kmの記録は約4時間。過去の長距離イベント、東京〜糸魚川ファストラン294kmは約15時間、ラ・ベルナール・イノー230kmは約10時間、いずれもギリギリの完走である。2014年、同じ獲得標高5,000mを目指した不動峠20本に17時間近くかかった。だからラ・マーモット完走は五分五分だと思っていた。2015年は1月から6月まで2,000kmは走ろうと思っていたが、かなわず1,500km。
 ただ、自分は周囲に恵まれていた。エタップ・デュ・ツールを6回完走したPさんは筑波山に練習に行く度に完走の為のコツをいろいろ教えてくれたし、久保さんからは高強度と急坂のトレーニングが効果的と教えてもらった。チームWEMOのZUZIEさんとガッチの経験談には憧れが倍増した。Tプランインソール、H氏のアドバイスで、足がツラない、攣っても回復しやすいように、ギアはフロントをコンパクトより小さいトリプルの山岳仕様にして臨んだ。(現地ではダブルのコンパクトで最大ギア30T以上の選手が大勢を占めていた。) 実体験のある人達の助言がなければ、完走はかなわなかったと思う。

 そんな我々4人を現地でサポートしてくれたのが、久保さんの友人でトップアマチュアチーム、ブルガンブレス監督のクリスチャン・ミレジさん、2015年37歳。英語バッチリ、強い体幹、高い人間性、思わず男が男に惚れてしまいそうだった。ハンサムでカッコいい男で、奥さんがまた美人なんだ。(写真だけで実際に会ってはいないけど) 彼のチームからプロになった選手もいるそうだ。
 欧州在住の元シクロクロスチャンピオン、荻島美香さんが参加し、しかも表彰台に上がる快挙を成し遂げた事は、日本に帰ってからシクロワイアードを見て初めて知った。実際の処、表彰式の時間はコース上に居たし、面識もないけれど、知っていたら現地でお祝いを言えたかもしれない。

○到着日(7月1日 水曜日)
 同日午前1時羽田発のANA、ルフトハンザ共同便で午前10時にリヨン着。フランス人はストライキを良くやる。まさかバカンスシーズンにはやらないだろうが万が一のリスクヘッジと、出発と到着の時間を考慮して便を選んだ。機内ではレースの事を考えひたすら寝ていた。同行の近藤さん、加藤さん、迎えのクリスチャンとは既にFBで知り合っていたので、迷う事はなかったし、すぐ仲良くなった。
 空港を出ると、湿度は少ないがとても暑い。熱波がヨーロッパを覆っていた。荒天の場合に備えモンベルのレインジャケット等いろいろ持ってきたが、暑さ対策の方が重要になりそうだ。

 まず、アルベールビルのクリスチャンの実家へ。留守番のダーウィン(愛犬のラブラドール)が迎えてくれた。少人数なればこそで、今夜はホームステイなンである。
 家庭菜園の美味しい野菜と全粒粉パスタの昼食。ミレジ家はイタリア系フランス人なんだそうだ。だからパスタはブルターニュで食べたような茹で過ぎでなく、ちゃんとしていた。「フランスのパスタはみんな茹で過ぎ」って10年間言い続けてたわ、オレ。フランスの皆様、御免なさい。そしてフランスに来る度思うのは野菜の味がしっかりしていて旨い事。加藤さんが付け合わせ的イメージがあるサラダが立派な一品料理になってると言っていたけれど、まさに!である。その後も加藤さんが述べる感想は本質をうまく突いていて、その洞察力と表現力が羨ましかった。
昼食の後は、景色の素晴らしい庭で昼寝。クリスが薦めたからだけど、後から考えるとこの昼寝は長旅からの回復→ラ・マーモット完走に結構な意義を持っていた。
 
 目覚めた後は、自転車を組み立てて点検。ポラールのケイデンスセンサーが反応しない。ポラールはセンサーの位置取りが結構シビアなので、いろいろ角度や距離を変えたりしたがダメで。こりゃ電池切れかな・・・いやそんな訳ないと思うけど・・・日本を経つ前スピードセンサーは交換したがケイデンスの方は今年の春に交換済みなので敢えて変えなかったのだ。軽いライドの後自転車店に寄って新しいセンサーを買う事にした。
みんなで、タミエ峠へ(そんなに軽くはなかった)。頂上からは遠くにモンブランが見えた。クリスチャンは僕らの地力を判定していたのだと思う。こちらは彼が下り坂で長時間手離し運転するのにびっくりしていた。何てしっかりした体幹とバランスなんだ!

 近所の自転車店は大きな店で、無事センサーを購入できた。帰宅して早速取り付ける。が、反応せず。
うーららぁ! 説明書見ながら、いろいろ位置を変えたけどダメ。
しょうがない。諦めるか! ケイデンスは無くても走れるしな。
って、トコで夕食の時間。
 アンニック(お母さん)の手料理メニューは、レッドメロンと生ハムの前菜、家庭菜園の美味しい野菜のサラダ、サーモンのキッシュ、ボフォールなど地元のチーズ数種類、デザートはクレームブリュレとショコラプディング。サラダにつけるソースはマスタードをオリーブオイルでのばしただけの、この地方独特のものだがこれが旨いのだ。肉にも合うし。帰国してからも少しバルサミコ酢を加えてよく食べている。台所を覗いたらブルターニュの「ルガール」ブランドの生クリームがあった。美味しいから使っているそうだ。流石です。仕事でよく知っているこの会社の乳製品、特にバターは品質優良で、毎年政府から金賞等いろいろな賞をもらっているのである。
食事は庭のテラスで戴いたのですが、美味しく、とてもリラックスした時間だった。お父さんのモリスも良い人である。といっても58歳だそうで、俺より5歳年上なだけである。地元チーズが何故旨いかを熱く語る自転車チーム監督の話を聞きながら、故郷を愛してるのって、カッコいいよなあ、と思っていた。

○前々日(7月2日 木曜日)
 当初この日は、透明度がとても高いアヌシー湖にトレーニングライドに行くことになっていたが、3人で相談し、ガリビエ峠に登るよう変更してもらった。グランフォンドの2日前に山に登る事は本当は御法度だ。わざわざその点を指摘したブログを読んだこともある。本番までに回復できないからね。ガリビエは下から登れば35kmにもなるし。そこで1〜2時間のライドになるよう監督がコースを設定した。車でテレグラフ峠を登る。かなりハードな登りだ。山岳リゾート基地の街、ヴォアラールを過ぎ、頂上まで8kmの駐車場からゆっくり走り始めた。不思議な事に昨日あれだけやっても動かなかったケイデンスセンサーが作動した。何故直ったのか不明だけどラッキー。本番でもこのまま行ってほしい。
そんなことよりも。

 
 森林限界を越えた、その雄大な景観は本当に素晴らしかった!! 
風景に感動するなんて何年ぶりだろう。
テレビや映画で見るのと実際にその場に身を置くのでは大違い。分かっていた筈の事を久しぶりに思い出した。
 オレ、地球人で良かった、自分は今、確かに生きてるんだ!と思ったり。この辺りでコンタドールがアタックしたンだぜ、クリスの解説にアタックごっこしてみたり。
とても幸せな時間だった。加藤さんは沢山の写真を撮り、近藤さんは高山植物を愛で、3人共大満足である。
 頂上近くにはカメラマンが居てサイクリストやモーターサイクリストの走っている姿を撮影していた。ネットで販売しているのだ。此処はディズニーランドか? いやいや自転車バカにはディズニーより遥かに夢の国である。天気が良かったからね。7月の第1〜2週がベストシーズンなんだそうだ。標高が高い為、暑さもそれほどではなかった。
幸運だった。


 ※ガリビエ峠ライドの動画です。

頂上ではいろんな国の人が、それぞれポーズを工夫して記念撮影しているのが可笑しかった。それだけ特別な場所ってことだよな。


駐車場に戻りすぐ近くのレストランで郷土料理の昼食。それからレースコースを逆走する形でラルプデュエズに向かう。グランドン峠の急坂を見れたのは非常に役立ったし、クロワドフェールが近いのを見ることができ、頭の中のコース図が実感できた。ブールドワザンの手前で、帰国する直前の久保さんに会うこともできた。モンブランマラソンウルトラ80kmを完走し、人生の次のステージを間近に控えた彼は、とてもいい顔をしていた。クリスチャンと話しているのを見ると1歳違いの二人の絆が深いのがよく分かった。クリスは久保さんが監督をしていたチームで選手だったのだ。

我々のホテルは、ゴールからすぐ近くのキッチン付き。4ベッドルーム、2バスルーム、2トイレ、ダイニングとリビング。ホテルにはジムや温水プールもある。フロントのお姉さん達は美人揃いでフレンドリー。
ここで斉藤さんと合流した。FBでやり取りした時に思っていた通り、自転車競技に真摯でストイックな方だ。彼が走るマーモットは完走を目指す我々3人とはまるで違う、欧州最高峰の市民レースである。いきなり騒々しい3人組が来て、やりにくいンじゃない?と聞いてみたが、楽しいですよと答えてくれた。度量大きいなあ。

ラルプデュエズの街はTシャツに短パン、すね毛を剃った男と女だらけだった。イエンス・フォイクトのShut Up Legs Tシャツを着ていたお兄さんとは思わずハイタッチ、お互いにエールを送った。
夕食は山口さんに教えてもらった、エーデルワイスレストランへ。日本の取材陣御用達の店である。日本から予約したら丁寧な返事をくれたし。女将さんがちょっと注文たてこむとテンパっちゃうのが可愛らしかった。

○前日(7月3日 金曜日)
 朝、前日のガリビエ峠のリカバリーライドで1時間、ラルプデュエズの上にある湖まで走る。その後洗濯したりやホテルのマッサージ受けたりして過ごした。
 昼食はイタリアンレストランでバジリコスパゲッティ。ここもちゃんとアルデンテ。しつこいけどフランスの皆さん10年間「フランスのパスタは茹ですぎ」なんて言い続けてゴメンナサイ。こちらのお店はウエイトレスさんのノリ良くて可愛かったンだよねー。
そのまま受付に行く。後ろに並んだ人をふと見ると、肩から固めて腕を吊ってるじゃないですか!昨日練習で鎖骨を折ってしまったそうだ。なんとお気の毒な。自分も骨折経験者なので人ごととは思えず、次の挑戦の成功を祈った。
その後自転車にゼッケンを付け準備。斉藤さんと近藤さんは街中の本格的なスポーツマッサージに行った。かなりレベル高くて良かったそうだ。
国内のイベントに出る時は通常前日入りなので、いろいろやる事が多い。今回は時間的余裕があったので、ゆったり落ち着いた気持ちになれて良かった。クリスチャン監督は明日の補給食サンドイッチを作った。日本の食パン位の甘さの小型パンにハムとエメンタールチーズをはさんで。食べるのが楽しみだ。近藤さんがジャージにクリスのサインもらうのを見て俺も書いてもらったり。
 夕食は、監督が調理した、胃の負担が少なく明日の力になるメニュー。アルベールビル出身の彼が作ったのは、サヴォワ地方独特のブラックベリーを練り込んだパスタにペンネを少し混ぜたもの、トマトとモッツアレラのカプレーゼ、そしてホテルの近所でなくわざわざ自転車に乗って買ってきてくれたバゲット・パイヤス。ナイフで切ろうとしたら、このパンは手でちぎって食べるのさ、と教えてくれた。なかなかウマカッタです。翌日にそなえ、20時には寝床に入った。
  

○当日(7月4日 土曜日)
 4時起床。日本にいる家族から応援のメッセージが入っていた。気合いが入る。
 

    
朝食は、ペンネとコーヒー、ジャム付パンなど。
朝の準備をしてから、車でスタート地点のブールドワザンに降りる。多くの選手は自転車で下っていた。イギリスのサイクリスツ・ファイティング・キャンサーチームのメンバーが通りがかり、一緒に写真を撮らせてもらった。自分は25歳の時に胃がんになり80%を切除した。その時多くの方に支えてもらった。そんな訳で今はジャパンフォーリブストロングや、別府選手や日向さんがサポートしている小児がん患者とその家族のためのチャリティ、シャインオン!キッズのビーズ・オブ・カレッジ(勇気のビーズ)
http://sokids.org/ja/programs/team-beads-of-courage/
に時々参加している。今回も。
ビーズと共に挑戦するんだ。

 召集場所とスタート時間はゼッケン順に決まっていて、300番台の斉藤さんは7時、残る3人は3000番台で7時30分のスタートだ。待ち時間に何人かと話したがベルギー、オランダの人が多かった。関西弁なまりの英単語の羅列だがそこは自転車乗り同士、話は通じるのだ。大抵の人は我々の事を欧州に住んでいる日本人と思うようで、マーモットを走るためだけに来たと言うと「そりゃスゴイな、幸運を!」と応援してくれた。旅人効果ってヤツですね。会話の次のパターンは「一人で来たのか?」で、あそこに仲間がいると、2人を手で示すとほとんどの人がジャージに注目した。
「Cycles Marmotte!?」
シクル・マーモットは自転車店のチームで店主の馬場さんはラ・マーモットを4回完走していて、このレースが店名の由来なのだ、という説明を5回はやった。最後の方は滑らかに説明できるようになったもの。(笑) その他ここまで何千キロ走り込んで来た?という話題も定番。ラ・マーモット完走に最低2,000kmは必要と9年前久保さんは言っていた。クリスも会って直ぐに聞いてきた。1,500kmと答えた時、彼が十分だと言ってくれたので、俺は即ソッチの案を採用した。だから、あるベルギー選手が自分は6,000kmしか走っていないから!完走できるか不安なんだと言った時、大丈夫!と勇気付けてあげたよ(苦笑)。

                       
スタート地点に移動すると、ますます気分は高揚してくる。周りの選手達もワクワクしているのが伝わってくる。

○ブールドワザン〜グランドン峠〜サン・テティエンヌ・ド・キュイーヌ
7時27分、スタート! はじめの7km程は平坦区間である。近藤さんと加藤さんは、かなりのスピードで先に行ってしまった。自分は心拍計を見ながらペースの合う集団に入って進む。

10km地点のアレモンからグランドン峠への本格的な上りが始まる。この辺りは勾配がコース全体を通し一番急な場所がある。下って15%の上り返しという所も2、3回あって、大人数だとやはり詰まってしまったが、二日前に車で下見していたので上手くこなせた。
序盤は皆元気だし東洋人は目立つ為、良く声をかけられた。(こちらからも声かけましたが)。英語ができる人が多かった。自分が出場したサイクリングイベントの記念ジャージを着ている選手も多く、それが話のキッカケになったりする。「勾配30%って背中に書いてある! マジ?!」「ホンマやで、クレージーな坂なんやけど、ちゃんと走り切ったで」とか。斉藤さんも着ているHauto Routeのジャージの人は無条件で尊敬してしまう。別府史之選手の日本チャンピオンジャージレプリカを着ている選手(オジサンです)もいて、突っ込んだらちょっとハズカシそう(笑)。俺もフミのファンなので、嬉しかったし元気が出た。

「そのトリプルギア、いいね」、後ろから声をかけられた。沈着冷静なイギリス紳士だった。「うん。身体の負担少なくクランク回せるし、ムッチャええよう。俺、イギリスの人が書いたマーモットのブログを沢山読みましたよ。トレーニング方法とか、完走のコツとか・・・」と話が盛り上がったが、ふと自分の心拍計をみると心拍数が150を超えていた。彼と話したくて頑張りすぎていた。「あ、俺ペース早すぎるから下がるわ」と言うと、紳士はとても印象的な事をやってくれた。
「自分のペースを守ること、補給を沢山摂ること、これが一番だ。さもなくば、」と、左手の閉じた5本の指を開いて、「ボン!」
はははっ、全くその通り! 
ここに至るまで何回、俺はその「ボン!」をやってしまった事か! 
今日はしっかりとペースを守って完走つもりです。
 やがて森から草原に変わり、明るい視界が広がった。道のずっと先まで自転車の列が続いている。ちらっと後ろを見ればまたずっと自転車が続いている。素晴らしい景色だ。

グランドン峠の頂上付近で、クリスチャン監督から補給を受けとる。36km地点の峠には公式補給場所がある。必要ないのに少し覗いてフルーツ類をもらい、トイレを済ませて下りに入ろうとした時、フランス人3人組から工具を貸してくれと頼まれた。1人のシューズのクリートがゆるんでしまったようだ。って、靴見せながら喋るからそう判るンだけど。いや、よく見たらネジ1個ないぞ。「3人居て誰も工具持ってないのかよ?」と、突っ込みながら、快くお貸しする。ネジを一所懸命締めている彼は不器用そうだ。
「ありがとう、日本!」
「どういたしまして、フランス!」

グランドンの下り20kmは危険なのでタイムが計測されないようになっている。長い下りは、ある意味上りより大変で、肩が凝り、ブレーキを持つ指先が痺れてきた。話には聞いていたが本当にそうなるのだね。途中で休んでいる選手もいてそうしようかとも思ったが、結局は標高1,924mの峠から450mのサン・テティエンヌ・ド・キュイーヌの街まで一気に下った。

○〜モンヴェルニエ〜モラール峠
 平地では集団が自然にできる。補給を定期的に摂って集中もできていた。
そして「靴ひも」モンヴェルニエのつづら折りへ。道幅は狭い。上も下も自転車の長い列が見えるのはグランドンの時とは違う、面白い光景だった。だが、暑い! 10時30分を過ぎ、本格的な暑さとの戦いも始まっていた。なにせ風景面白いのだがそれについて喋る気が起こらない。と。「アツイゼ、コノヤロー!」って叫びながら走るゴリラのようなオジサン選手に抜かれた。逆ギレしてる、でも速いンだよな。暫くして上の方から再びその選手の叫び声が聞こえてきて、横の選手と顔見合わせて笑ってしまった。777mのモンヴェルニエの上の方は両側に岩の壁がありその間を進む。ツールの公式ガイドブックの表紙になるだけの事はある。その後の小さな村も忘れられない。5歳位の男の子が選手達とハイタッチしていた。俺もその列に並び、優しい笑顔を作って“Je suis japonais”と挨拶した。この子にとって初めて会った日本人は俺だろう。男の子の少し先で祖父らしい方が見守っているのに気づいた。お互いに頷き合う。

 一度下って幹線道路を走る。集団は連結して少し大きくなった。それもつかの間で、モラール峠への登りが始まって小集団になる。とにかくア・ツ・イ! 沿道に住む人たちが水を分けてくれるのがありがたかった。やがて道は森の日陰となったが、自分的にはこの区間が一番しんどかった。そんな中、30代と思しき東洋人の選手が隣に来た。どこから来たの?と聞くと韓国の人だった。韓国人のエントリーは一人だけだという。「僕は歴史を作っているんです」彼は青年らしい自負を示すとスピードを上げて去っていった。後日リザルトを見たら9時間台でゴールしていた。本当に歴史を作ったね。カン君、おめでとう。


次の給水所には長い列ができていた。後5、6km走れば食事もある補給地点なのだが、水が欲しかったので、その列に並ぶ。自分の順番が来るまでずいぶん時間がかかった。
給水して気持ちが落ち着くと再び元気が湧いてきた。

一緒に走っていた選手の電話が鳴った。「忌々しい電波め!」と言いながら、彼は止まって電話に出る。聞こえて来た口調はとても丁寧だったので、仕事の電話かしらん。レース中に仕事の電話は勘弁してほしいよなあ。なーんて思っていたら、自分の電話が鳴った(笑)。
監督からだった。「今、何処にいる?」 余りにも遅いのでしびれ切らしたンだろうなあ・・・へへへ。
 101km地点アルビエ・ル・ヴューの補給所では食べ物を仕入れて、すぐに出発した。モラール峠は103km地点ですぐ近くだ。

○〜クロワドフェール峠〜ブールドワザン
 次の峠までは20km。この辺りで前輪がスローパンクしているのに気付いた。タイヤに目立った傷はなかったが、バルブが少し曲がっていた。そういえばスタート地点に移動する時よろけてぶつかって来た選手がいた、その時かもな。チューブを交換しようとも考えたが、峠ではクリスチャン監督が待っていてくれている。そして俺は不器用だ。ポンプで目一杯空気を入れ、このまま進む事にした。
 5人位の小集団になったり、単独になったりしながら走って行く。自分がだいぶ疲れているのが分かっていた。116km地点のサン・ソルラン・ダルヴに着くとパン屋さんの前で、息子と同じ年頃の男の子が応援してくれていて、時間も気になるが思い切って少し休む事にした。塩気が欲しくてバゲットサンドとコーラを買った。家族経営の店で、男の子は店主のお孫さん。俺もそうだけど、彼の応援で次々に選手達が止まってコーラや菓子パンを買ってゆく。凄腕セールスマンなのだった。
 

 さあ、クロワドフェール峠へ! 気持ちは引き締まったものの、村を出ると勾配が12〜15%で、足がピクッと来た! 攣る前兆だ。こりゃしばらく静かにやり過ごさなきゃと、軽いギアで慎重に進んでいると、道端で休んでいる近藤さんと加藤さんに会った。しかし止まったらツルかもしれないので、挨拶しただけでそのまま進む。
 勾配はその後緩くなって少人数の集団になったり、バラけたりしながら進む。暑さと疲労で歩き出す選手が増えてきた。サイクリスツ・ファイティング・キャンサーチームの選手が歩いていたので応援すると、首を振りながら「Crazy, absolutely crazy 」と答えが返ってきた。白人にはこの暑さ・40℃以上は、黄色人種よりずっとキツイいんだろうなあ・・・
自分的には湿気が少ないのでまだマシだった。


 高度が上がり、下界を見れば絶景である。ガードレールなんて無い。

峠2km手前。横に並んできた自転車を見たらフラットハンドルだった!思わず「えっ そんなハンドルで上がって来たん?!」と話かけると、
「ああ、このハンドルの事? 別にドロップと変われへんよ」とおっしゃる。
「えー? 絶対ドロップの方が楽やって!」
「自分、日本人やったら、ヒロシゲ知ってるやろ? ヒロシゲ・アンドー」
「へっ? 浮世絵の安藤広重のこと? 彼は日本の誇りです」
(余りの展開の違いに戸惑いながら、とりあえず合わせてみる。この人俺と同じB型だな)
「そう、俺、あの人の絵の大ファンやねん。構図とか、色使いが素晴らしい、特にあの青い色!それでああでこうで・・・」
オランダ人のポールさんは俺の知らないムズカシイ単語も交えながら、とうとうと広重論を展開してくれた。
まさか、アルプスの峠でそんな話を聞く事になるなんて。人生一寸先はわからない。

峠で、クリスチャン監督に前輪を交換してもらい、補給をもらう。時刻は既に17:30。ブールドワザンの制限時間18:15に間に合わないのは確実だった。近藤さん達がリタイアすると決めた事を知る。それであそこで休んでいたのか・・・俺はたとえ足切りにあってもゴールまで自分の足で行くと、意志を伝える。すると追加の補給が渡された。
腰を押してもらいながら加速して再出発! プロみたいでちょっと嬉しかった。


 欧州の選手たちの下りは速い、と斉藤さんが言っていたが、本当に速い。
登りで抜いた選手達にバンバン抜かれていく。確かに自分は日本でも相当遅い部類に入るが、それにしても速い。ポールさんが友人と共に追いついて来て、暫く一緒に走っていたが、やっぱりチギラレてしまった。下りきってブールドワザンまではデンマークのアナス選手他2、3人の選手と先頭交代しながら進み、足は使ったが自分としてはかなり速いペースを維持できた。頭の中ではツールドおきなわで足切りになったシーンが浮かんでいた。だから余計に思うのだ、自分の足でゴールする、と。
そしてラ・ベルナール・イノーを走った経験から日本のレースみたいに時間通りに足切りしない筈だ、主催者にとっても初めてのコースだから少しは待つ筈だ、と全くアテにならない「計算」もあった。そもそも、ホテルがゴールの近くなので、失格になろうがなるまいが登らなければならないのだし。
163km地点、ブールドワザンの補給所まで来た。本来なら休みたいところだが、そのままラルプデュエズに突っ込む。18:15は過ぎていたが、何時だったのかは憶えていない。

誰にも行く手を遮られなかった。
これで、自分の足でゴールまで行けるのは確定だ!


○ラルプデュエズ
 登り始めの勾配がキツイ、15年振りに登る山。サラアシで登るより相当シンドイが、想像していたよりは楽だった。これは結構イケルかもと、少し速めのペースを維持したのがいけなかったようで、3km位行ったところで足がツッタ。たまらず自転車を降りた。でもこれ位なら暫く休めば復活するレベルだ。芍薬甘草湯を投入し、道端に座っているとヴィーニファンターニのチームジャージを着た二人組から「ガンバレ、日本!」と応援をもらった。
もちろん、やるとも! もう少し休んだら、ね。
 そこに我々のチームカーが通った! 加藤さんが俺を見つけてくれたそうだ。ありがたかった。水や補給食を再びもらう。2,3人の選手が水をくれとやってくる。クリスチャンは俺の分を気にしてくれたが自分の分はもらったので、残りの水は彼等に分けてもらった。「先に晩メシ食べてて」と言い、そしてゆっくり走り出す。でもまた攣るので、復活するまで押して行く事にした。
 この時間帯のラルプデュエズでは、他の選手達も、自転車に乗っている、歩いている、休んでいると違いはあるにせよ、なんとかゴールに辿り着こうしている者達の連帯感があった。言葉を交わさなくても頷いたり、ニッと笑ったりするだけで「お互い頑張ろう!」という気持ちが伝わるのだ。思い込みだけかもしれないが、やっぱり、ここは伝説の場所。自転車乗りなら一度は走りたい、走ってほしい、舞台だ。


 21のカーブ毎に歴代優勝者の名前が掲げられている。押し続けて11番まで来た。そこはベルナール・イノーさんのカーブだ。彼は自分にとって最大のヒーロー。2006年ブルターニュで会った時の事を思い出す。嬉しすぎてロクに話せなかったよな・・・
もう一度サドルにまたがり、ペダルを回し始めた。
なんとか行けそうだ! 実はこの辺りから10%以上あった勾配が7〜8%に緩くなるのである。無理せず、しかし着実に回す事に集中した。少しずつ、残りの距離が減って行く。さっきのヴィーニファンターニの二人組が道端で寝ている。今度はこちらが応援すると「ヴィーニファンターニは死んだ(笑)」なんて言う。「ネバーギブアップ、イタリア!」


 後4km、3km・・・イケルぞ! スピードは上がらないし、20時を過ぎ流石に夕闇が迫ってきたが、まばらな他の選手も、自分も、表情は明るくなってくる。電話が2、3度鳴ったが下手に止まるとまた攣るのが怖くて無視してしまった。仲間が心配してくれているのに、長時間待っていてくれていたのに、俺は自分の事だけ考えていた。。。
山を降りてくる選手達と頻繁にすれちがう。彼らが首に完走メダルをぶら下げているのが羨ましい。俺はブールドワザンの制限時間超過しているから、メダルはもらえないよなあ。選手の写真を撮るカメラマンも、撤収作業が終わりかけていた。

そして。
とうとう、ラルプデュエズの街に帰って来た。コース沿いのレストランやカフェで寛いでいる人達から拍手と応援をもらう。「メルシー!」お礼を言う声がうわずっているのが自分でも分かった。テレビで良く出てくるトンネルで暗くなったら少し不安になり、道をまっすぐ行けばゴールなのを知っていたクセに「ゴール何処やったっけ?」と独り言をいったら「この道を真っ直ぐだ、ついて来な!」と後ろから声がして、先刻自分を抜いていった若者が前に出た。あれ? 後ろにいたンだ! いつの間に? 
「あ、でも速すぎ!」意外な展開に、思わずお礼を言うより先に注文つけてしまった。彼は振り返りながら引っ張ってくれた。ゼッケンを付けていないので既にゴールしたか、明日のラルプ・デュエズ・タイムトライアルに出る選手だろう。ゴール直前でもう一度お礼を言ってフェンスのあるアプローチに入る。そしてゴール! 
とにかく。自分の足で走り切った。
とにかく。やった。
オランダの広重ファン、ポールさんに再会し、お互いの健闘を喜ぶ。

 宿に帰ろうとすると、ボランティアのお兄ちゃんが自転車のゼッケンをニッパーで切りながら「完走証はあちらで発行していますので、受け取ってください」と、言った!
俺も、もらえるのか! 行ってみると担当者が不在で少し待ったが。
確かに完走証を戴いた。これで正式な完走だ。そしてメダルも。自分のタイムに相当する銅メダルが欲しかったが、在庫がないからと、係のお姉さんは金メダルを差し出す。いや、それは本当に速かった人が努力の証としてもらうものだよ、断ろうとしたら彼女はどうって事ないじゃん、って顔をして「金メダルの方がいいじゃない、あなたはベストを尽くしたのでしょ」
そう。確かに。今日は自転車人生で最高に頑張ったよ。自分の中では金メダルに値する程に・・・そうだね、もらうよ! メダル代の10ユーロを渡そうとすると、彼女は首を振ってお金はいりません、どうぞお持ちになってと。
改めて、受け取った完走証を見る。
                            

静かな達成感が、心に広がった。

ホテルに戻る。仲間達から祝福を受ける。皆、食事に行かないで、ずっと待っていてくれた。だから斉藤さんからは連絡不足やゴール後なかなか帰って来なかったことを怒られた。クリスはレストランの予約時間を変更したりしたのだそうだ。完走証は明日の朝でも発行されるのだと・・・それは知らなかったが、自分の事ばかり考えていたのを反省した。

急いで着替え、皆でクリスが予約したトンネルの上の階段途中にあるレストランへ。斉藤さんは以前も来た事があると嬉しそうだ。22時前だったと思うが流石フランス、たくさんの人が食事していた。そしてこの店は、この旅で一番旨かった。体がたんぱく質を欲していたのか、気分は肉!でステーキを食べたけど、goodでした。付け合わせの野菜も。デザートはみんな絶賛していた。身体は疲れていたし、どんな話をしていたか余り憶えていないけれど、この人達と会えて、参加できて本当に良かったなあ、しみじみ思っていた。
チエミとセンタに結果の報告とお礼のメールを入れて、寝た。

○自分のリザルト
4,634位/完走者4,679人 タイム 13時間4分39秒

優勝者  ステファノ・サーラ選手 イタリア  5時間54分30秒
最終走者 ジョン・シンプソン選手 イギリス 14時間34分39秒

以下POLAR値
走行距離   174.9km
走行時間   11時間59分(7:27-21:00 TOTAL 13H30M)
熱量     5,320kcal
心拍数    平均137bpm/最大161bpm
速度     平均14.8km/h /54.9km/h
ケイデンス  平均62rpm/134rpm
獲得標高   4,855m

機材  フレーム:LOOK585、ホイール:カンパニョーロユーラス、
    タイヤ:ミシュランプロ4エンデュランス、コンポ:シマノティアグラ
    チェーンリングセット:スギノマイティ、ハンドル:ニットーN186、
    サドル:スペシャライズドフェノム ペダル:ルックKEO2
補給  梅丹:CCC200、電解質パウダー、2RUN、カーボショッツ、
    Mag-on:エナジージェル
    (この他サンドイッチ、バターケーキ、フルーツ、シリアルバー、コーラ)
足攣対策:SEV・ルーパーtype G&パッチ、エネフィールプラス・特選馬ぁ〜癒(馬油)
     カネボウ・芍薬甘草湯
ウエア ジャージ:ウエイブワン・レジェフィットプロ、シューズ:マヴィック・ヒュエズ、
    グローブ:マヴィック・メッシュグローブ、
    ソックス:T-PLANコンフォートサポートソックス
    ウインドブレーカー:モンベルEXライト ウインドバイカー

○翌日(7月4日 日曜日)
 朝、散策に行く皆を見送ってから荷造り。
 自分だけ本日帰国なのである。不器用なもので、だいぶ時間がかかった。
 昼頃出発し、リヨン空港までクリスに送ってもらう。昨晩の事を改めて謝ると、全く問題ない、お前のスピリットは素晴らしかった、それが自転車競技には重要なのだと、言ってくれた。
 尊敬している男に褒めてもらい、嬉しかった。
 復路はミュンヘン経由のフライト。 出発ロビーで待っているとTシャツに短パン、すね毛を剃った男がやってきた。
「ラ・マーモットに出ましたか?」 話かけると、「暑かったよね〜!」と即、大盛り上がり!

 デンマークのヤンは12時間で完走した。デンマークの選手は700人もいたそうで、エントリーの10%である。そりゃコース上で多くのデンマーク人選手に会うわけだ。話題はやがて、レースのあれこれから「いつから仕事?」と、変わって行った。Instagramで子供さんの写真を見せてもらった。センタより4つ下の男の子。
昨日は「選手」だったけど、明日からは「働くお父さん」、なんだよな。
彼のおかげで良い気持ちの切り替えができた。
改めて。 俺も、頑張ろう。

○後日談
  FBにアップしたら、SEVを買った大手スポーツ用品店ヴィクトリア系列のL-Breath BIKE(http://www.cyclowired.jp/news/node/155146)さんが7月のブログにコメントを載せてくれた。
http://www.victoria.co.jp/13261/blog/
   
 英彦山サイクルタイムトライアルの時のように、レポートを書いてシクロワイアードと、サイクルスポーツ誌に投稿した。シクロワイアードさんには採用して戴いて、記事を掲載してもらった。これは反響が大きかった! Youtubeの自分の動画の再生回数が一気に上がって驚いた。今では1,300回以上見られている。綾野編集長には大感謝です。
コンビニや峠で、初めて会ったサイクリストに話しかけ、宣伝したりもした。
 当時久保さんが所属していた旅行会社ユーレックスのフィールズ・オン・アースのブログにはユーザーの旅行記としてシクロワイアードの記事に少し書き加えたレポートを掲載してもらった。
オッティモではFreyjaさんとM氏が幹事やってくれて、報告会付暑気払いを松戸市の名店、ホル元で開催。そのうちの2人からは、いつか自分も走ってみたいと言われている。

 ラ・マーモットの事は知っていても、フランスまで行くなんて、5,000mも登るなんて、と思っている人がいたとしたら、俺が完走した事実は、かなり気が楽になる効果がある筈だ。胃の80%を切り、8ヵ所骨折した、愛煙家の53歳である。走力のレベルは冒頭に書いた通りで、高くない。もし今、これを読んで戴いている貴方が、面白そうだ、自分ならもっと上位に行ける、自分でも完走できそうと、実際に参戦してもらえたら、本当に嬉しいです。
貴方には、あなただけのラ・マーモットが待っています。
渡航費用をかけて行く価値は、絶対にありますよ。

○終わりに
長年の夢を遂に実現させる事ができました。会社やオッティモをはじめ支えて下さった皆様に、そして家族に、改めて感謝の意を表します。
ラ・マーモットは、本当にタフで、物凄く楽しい、自転車イベントでした。欧州の自転車文化の深さと「自転車バカに国境は無い」事を改めて認識しました。
この素晴らしい体験をより多くの人に経験してほしいと思いました。その為には先ずイベントの存在自体を知ってもらわなければと、拙文を投稿する次第です。
下記リンクは自分のラ・マーモットを16分弱にまとめた動画です。
お時間のある時に、どうぞ見て下さい。
www.youtube.com

10年後、ガリビエ峠のある、オリジナルコースを完走したい。
これからの10年、やるべき事は、いろいろありますが。
その事も考えて、行動してゆきます。

(Photo:tsuru585, many thanks to Makoto Kato)

〈 了 2015.8.3 11.28改稿 〉