クランクブギ CRANKBOOGIE

自転車と、ブルースと、旅と。

ツールドおきなわ市民85キロ、2007

結果; 高江関門回収

 市民85キロは、スタート地点で2時間以上の待ち時間がある。選手達はそれぞれまったりした時間を過ごす。俺は今回3回目。まだ完走できないが着実に知り合いは増えている。
 トラックで運ばれて来た自転車を受け取ると、ポラールのセンサーが割れていた。初の輸送トラブル。「何かテープ持ってない?」地元那覇・チームキッズのがんパパに相談したら、持ってない!といいながら休憩所の窓に貼りついていたガムテープを探してきてくれた。これで修復OK。感謝です。埼玉のU田閣下が「キング三浦は本気で走る気だ!」と楽しそうに教えてくれる。「皆で先頭交代して源河までに10分前スタートの女子に追いつこうって!」あのキング三浦が市民85キロにエントリーし、ゼッケン付けて現れたのだ。女子選手の監督として来ているのだが。「キングを少しでも引いたら一生自慢できるな」とアホな話で盛り上がる。まだアップするのもなんだし暇だが、実は緊張していて落ち着かない。ストレッチでも、と寝転ぼうとしたら背中のポケットに入れていたゲルフラスコの中味が飛び出した。後ろにいたのがコザはズケラン(瑞慶覧)レーシングのHH嘉氏。おかげで知り合いになれた。トライアスロンが本業なんだそうだ。
 その後宜名真トンネルまでアップし、まだ暇なので辺戸岬の展望台にも行ってみた。見事な景観だった。それからスタートに並んだ。隣のアメリカ人の足に見慣れた赤いマークを発見した俺は思わず英語で話しかけた。
「兄ちゃん、その足のヤツなあ、もしかして入れ墨で描いてるんか?」
間髪入れず自慢げな答えが返ってきた。
「そーやで!これぞアイアンマンタトゥーや!ワハハハ」
「うわっマジで彫ったンかいな。そらまた、おちゃめでんなあ」
自転車バカに国境はない。
 スタート時間が近づいたので心拍計のスイッチを入れたが、さっきまで動いていたのに反応なし。ヤバイ、ペースが判らなくなると暫く格闘したが、動かない。
開き直る事にした。
 そんなこんなでスタートである。今年は時間通り。審判車がしばらく誘導してのローリングスタート。これは落車回避に有効で良かったと思う。スタートしてすぐの危険箇所、宜名真トンネルを無事通過して、ぐんぐん進む。追い風とはいえ、時々時速50キロを超える、平均40キロオーバーのペースなのに、先頭集団前方を楽にキープ出来ていた。もしかしたら・・・だが、今日は俺、相当調子がいいかも?先は長いのでオーバーペースにならないよう走る。補給も定期的に摂取した。と、隣に来た静岡のmanbooさんが「今年は例年より遅いですねー」と話しかけてきた。あ、やっぱり・・・の方でしたか。
 俺の作戦は、最初の平地で先頭集団に食らい付き、山ではそのアドバンテージを活かしマイペースで登るというもの。07年から各CPの足切りが時間だけに変わったので、先頭集団と15分差を気にする必要がない。実質ラクになっている。集団前方にいるのは落車を避ける意味が大きい。
いい具合で与那の登り口まで来た。
 昨年までは集団にいても苦しくて、登りはまだかまだかと思っていたが、今年はもう来たの?という感じだ。練習した成果は出ている。慎重に左折してすぐまた左折。
 いよいよ登りが始まった。トップは平地のペースそのままの感じで登っていく。俺はここからはマイペースで行かねば持たない。合図をして左に寄り、後ろの人に先に行ってと促し、一口羊羹を頬張りながらリズムを整える。軽めのギアを回して登る。
自分のペースで!心拍が分からないが、80%位の強度のつもりだ。割とリズムよくペダルを回し、もくもくと上っていった。
 山の中腹で「つるさん!」と後ろから声が聞こえた。M尾さんだ。スタートの平地から自分なりのペースを守って走ってきたはずだ。思っていたより早く追いつかれた。でもこれは心強い。一緒に行けるかな? 暫く後ろに付いて走ってから先頭交代しようと前に出た。少し走ってから代わってもらおうと振り返るとM尾さんがいない。しまったと思ったが、ペースは変えずに登り続けた。その方が楽なのだ。周りは完全にバラバラの状態。選手は何人かいるが集団を作る気配はまるでなし。ノロノロと抜かれたり、抜いたりである。きっと俺と同じ気持ちなんだろうな。
 距離は山頂まで約7キロ。与那から30分。やっと照首山を越えた。一度下り、普久川ダムのチェック&補給ポイントへ。10時34分に通過。普久川ダムでのリミットは11時15分。ここまでは予定通りだ。
 しかし、本格的な下りに入る前の上り坂で、左のふくらはぎがツった。これは早過ぎる。感覚より重い負荷で走っていたのかもしれない。ただまだ走り続けられるレベル。給水して、更に軽いギヤに入れて回復を待っていると、M尾さんが声をかけて抜いて行った。思わず「じゃ、ゴールで!」と返事をした。後で話をしたら、M尾さんは俺がこの時既に完走を諦めたと理解したそうだが。ではなくM尾さんには負けたと悟っただけだ。
程なくしてU田閣下が抜いて行く。力強いダンシングだ。過去2回と同じパターンである。
バイ・・・な。
1回目はまさにここで、2回目は安波の上り坂で彼に抜かれている。そして俺は1回目平良、2回目は高江で足切り。今、閣下に付いて行ければ完走は確実だが、今年もそんな事ができる状態でなかった。
 今回は痙攣対策を従来にまして仕込んで来ていた。ボトルにはクエン酸と雪塩にカーボショッツ、芍薬甘草湯を混ぜている。そしてツッた時のための芍薬甘草湯とクランプストップも持参。治療薬とサプリのテンコ盛りである。
そして俺は今までの自分の努力を信じていた。今年は3750キロ走り込んできた。これでも自己最長距離だ。もちろん皆もっともっと練習していると分かっている。(誰かさんの1ヶ月分位にしかならない。)
下りながら、これらのサプリと、補給を摂取した。安波では沿道の応援が多く、気持ちが引き締まる。
 そして再び上り坂が始まる。始めが急で足痙攣の原因になるので1番軽いギヤ38−27で上って行った。昨年はこの坂で足がツッて高江までしか行けなかった。時々後ろからきた選手に抜かれて行く。まだ85キロの最後尾ではないようだし、時間はある。何とか凌いでいる内に足が持ち直すだろう。

と、今までとまったく桁違いの速いスピードの小集団に抜かれた。オーベストにフォルツァ。すぐ分かった。200キロの先頭だ!N谷さんにT井さん、最速店長コンビだ。そしてやたらデカく見えるオッティモジャージ。
T末君だ!!
瞬間、身体が熱くなった。優勝候補筆頭の選手達と堂々と渡りあっている。思わず「頑張れT末!」と叫んだ。同時に、ガンバラナアカンノハオマエノホウヤと、もう一人の自分の声が聞こえた。
T末君はちらっとこちらを振り返って走っていく。スゲエな!もう一人黒っぽいジャージの人は誰だろうな・・(優勝したT岡さんだった)仲間の勇姿にモチベーションが上がり自然に笑顔になるが、こちらは冷静に頑張ろう。もう少しでこの上り坂も終わるはずだ。軽いギアを慎重に回し続け、何とか上までたどりついた。
よし! よく、しのげたぞ。
ここからのアップダウンは下りを利用して時間を作ろう。スビードに合わせてフロントギアをアウターに入れ、踏み込んだ。
!!!!!
両足が一度にツッた!
落車しないようにしなければ!
全力で痛みをこらえながら自転車を左に寄せて止まり、降りた。また!!!
たまらず大きな悲鳴を上げてしまう。ツるのは慣れているのだが、ここまで痛いのは初めてだ。大丈夫、群馬100キロでも途中で足がツッて一度降りたが暫く休んだら走れるようになっただろ。そう思いたいが、いつものツり方とはレベルが違うのが分かる。足の筋肉全部が痙攣して固くなり、収縮した筋肉は異常に盛り上がっている。道の左側に寄ったとはいえ、下りの緩い左カーブだ。このままでは危険なので、もっと自転車と自分を端に寄せたいのだが動けない。

 そこに70年代ヒッピー風ファッションの二人の男が駆けつけてくれた。一人は自転車を端に寄せて後続選手に注意を促し、もう一人は俺を介抱してくれた。素晴らしい連携プレーだ。
彼等は「NPOヘリパッド要らない住民の会」のメンバーだった。
俺が止まった場所は、たまたま彼等が座り込みしているテントの前だったのだ。ヘリパッドとは米軍訓練用のヘリコプター発着場所の事だ。主にタッチ&ゴーを訓練するのだという。既に15個もあるのにヤンバルにまだ建設する計画があり、反対運動をしているのだそうだ。全くその通りだ。助けてもらったから言うのではない。ペットボトルのお茶を戴き、残っていた芍薬甘草湯を飲む。ちょっと痛みがマシになった。戦闘再開だ。ゆっくり立とうとした。
!!!!!!
またツった。振り出しに戻る、である。
 横を200キロのメイン集団が通り過ぎていく。我がチームのT野キャプテンと目があった。恥ずかしー。T野君も骨折上がりというのにきっちり集団にいるところが流石だ。先頭とこのメイン集団の時間差はかなりあるから先程の逃げが成功しそうだ。そうなると、T末君の成績が楽しみだ。なんて言ってる場合ではないのだが、頭の中ではいろんな考えがぐるぐる回っていた。この足はなんとか復活しないか。完走も、源河までも、もう無理だ。でも高江はすぐそこだし、1回目に到達した平良までは行けるのじゃないか。のたうちまわりながら、ふと空が目に入った。
空は青かった。

 不思議なもので、焦っていた気持ちがすーっと治まっていくのを感じた。
これが結果だ。今の自分の全ては出し切った。実力が足りない。それだけのことだ。
 救護班の車が来て、エアーサロンパスを足にかけてくれた。高江まで送ってくれませんか、と頼んだが、後ろから回収車が来ますから、と行ってしまった。それはやっぱりそうだよね。緊急を要するケガではないもの。
高江のリミットである11時35分を過ぎた。まだ、俺は動けない。130キロの小集団が通りすぎていく。その中にS田君がいた。
機材車が停まって気遣ってくれた。ダメもとで高江までの同乗を頼むが、やはり断られた。
それから、交通規制解除を告げるパトカーがやってきた。
「只今、最終走者が通過しました。規制を解除します。ご協力ありがとうございました」
ああ、こんな風に終わるんだ・・・ 地元の人には本当に感謝しなきゃな。
ようやく、足の感覚が戻ってきた。そろそろと立ち上がる。大丈夫だ。
「(痙攣が)おさまりました。高江まで行って回収バスに乗ります。」
と、ずっと付き添ってくれていた二人の若者に告げ、ヘルメットをかぶり礼を言う。
「ありがとうございました! 来年はここに止まらないで通り過ぎますんで」
「僕らも運動を(成功して)終わらせますんで。もう会うことはないですね。」
一本取られたな。
二人の目はしっかり前を見ていた。
お互いに不再会を誓い、高江に向う。フロントはインナーギアである。”毎年練習量を増やしてるのに、到達点は結局毎年短くなってるやん・・・”そんな反省をしながら、自分の顔がニヤけているのに気づいた。あの二人に助けてもらったからだ。

 高江にはすぐ着いた。トイレに行ってから、共同売店の公衆電話で一番のサポーターに連絡した。良くない報告こそ早めにするべし。すぐにヨメサンがでた。
「足攣って、今年もアカンかったわ。」
「えー、なんでよ! 練習してたし、いっぱい(サプリを)持ってったやんか!?」
 いやスマン。確かに効果はあったよ。
「ちょっとS太! 父ちゃん完走できへんかってんて! どう思う?」
 2歳児にそんなン聞くなよ。
「トウチャン、チリンチリン〜」電話口の向こうで声が聞こえた。
 息子よ、スマン。お前のとうちゃんヘタレやったわ・・・。
電話を切って振り返ると、そこには夢破れた男たちが累々と倒れていた。なんだ?このデジャブみたいな・・・そして、思い出した。去年もこの電話から報告したのだった。 S田君がいる筈だ、と探すが姿はない。さっきのバスに乗ったのだな。
「つるさん!」名前を呼ばれて振り返ると、130キロに参加のP君が立っていた。
足切りになったけど、これが残っちゃったよ」と、小さな黄色いブツを見せて笑う。それは確か・・・俺もジャージのポケットをまさぐり、同じブツ=おフランス製の高級補給食、オーバースチムを見せ、二人で大笑いした。お互い、最後のスパートに使おうと思ってとっておいたのだ。 全く! 足切りになる前に使わんかいっちゅーの!傍にいたボランティアのご婦人も笑っておりました。
 懐かしいジャージも見つけた。大阪で所属している伊丹NCC(ナニワヤサイクリングクラブ)だ。 その方、T津さんとは最近加入とのことで初めてだったが、嬉しかった。
 意外な男を見つけた。200キロ参加、大学生のE藤君だ。ブログでは調子よさそうだったのになあ。聞けば前日から急に体調不良になり、今日は吐きながら走っていたそうだ。言われれば確かに彼の周りにはゲロの香りが漂っていた。
 突然、満面の笑顔の男が目の前に現れた。Y村君だった。オッティモでなく、リブロングのジャージを着ている。
あんた、出るなんて一言も言ってなかったやん!
200キロに参加されていたそうです。
しかし、この男は足切りにあったというのに、実に楽しそうである。そしてここ高江で我々に会えたことを素直に喜んでいる。
そうだった。
俺達は「自転車に乗れれば、それで幸せ(byトライアスロン班N野氏)」なんだよナ。
なんか、原点見せてもらった感じがした。もちろん、俺もすごく楽しかったよ。あー、でも悔しい気持ちの方が強いか? ちょっとフクザツだね。

 さあ、回収バスに乗ろう。
それは「前後左右絶望のどん底にいる男達が乗るバス(by2ch掲示板)」だ。
皆で一番前の列に陣取った。バスはレースのコース通りにゆっくりと名護に向かう。車窓にはヤンバルの美しい森が広がる。2回目の時は本当に落ち込んでいた。3度目の今回はそうでもなく、サバサバしていた。源河を抜け、市街地に入ると交通規制していた渋滞でますますゆっくりと進む。俺には問題が発生していた。なんのことはないオシッ×がしたくなったのだ。しばらく我慢していたが、とうとう信号待ちで降ろしてもらった。横断歩道渡ればコンビニがあったが間に合いそうにないので、同じ側にあったビル2階のマンガ喫茶にダッシュしてトイレを借りた。ハア〜、良かった、我ながら的確な判断であった、とホッと安心していると、ドタドタドタ!ともう一人が飛び込んできた。スッキリした顔の二人の男は、タクシーに乗って会場まで帰ったのだった。
あとでP君に「つるさんは回収バスもDNFだったね」と言われた・・・!

閉会式の宴会はT末君の3位で大いに盛り上がり、その後ホテルで風呂入って、近くで打ち上げ。来年は皆で50キロに出てトレインを組むぞ!という話になった。完走したM尾さんが、つるさんは負けグセがついてしまうから(既についてる?)、一度50キロに出て完走しなよと、非常に正しい助言をしてくれる。
 だが、俺自身はまた85キロに出ると肚を決めていた。(ちょっとは揺れたけど)
アノフタリト約束シタモンナ。
俺にとって「おきなわ85キロ完走」は、その先の「53歳か60歳でマーモットを完走する」ためのステップなのだし。

 翌日はちゅら海水族館の大水槽の前に皆で座ってしばらくボーッとしたり、美味しい宮里そばを食べたりして、ゆっくり沖縄を満喫して帰ってきた。
  
そーっと玄関を開けてウチに入る。さすがにバツが悪い。
ヨメサンの第一声は、
「自分のレベル考えてレースに出たら、ええやんか!」だった。
妻よ。
それは最初からわかってるんだ・・・・

了〈2008/10/15 改稿2009/3/5〉