クランクブギ CRANKBOOGIE

自転車と、ブルースと、旅と。

アルプデュエズ、2000

l’Alpe d’Huez
ラルプデュエズと書く方が、一般的だ。その表記はサイクルスポーツ誌の編集者だった、フランス語堪能な山口さんが広めたそうだ。じゃ、なんでこう書くかと言えば、現地の人の発音がラルプよりアルプに近いと感じたから。 生意気でしょ?

俺にとってアルプデュエズと言えば、86年のツールドフランス。 ベルナールイノーとグレッグレモンが並んでゴールした、あの山。
2010年の今年でも、登坂のコースレコードマルコパンターニが持っている山。 1997年に記録した37分35秒だ。

96年にチタンのロードレーサースポルトピーノで買ってから4年。貯金がたまったので、行くことにした。C美を誘ったが、俺が自転車で山を登っている間待っているのがイヤだとあっさり断られ、1人で行くことになった。

せっかくなのでミラノの老舗レストランでカツレツを食い、トリノのバーでピエモンテ州のワインを楽しんでから、朝一のバスでフレンチアルプスへ向かった。以前ならかなり下調べをしたものだが、仕事の多忙を理由にサボっていた。しかし辺境に行くわけじゃなし、なんとかなるもので、確実に目的地に近づいていく。バスはキャプーチが92年のツールで大勝利したセストリエールを通った。レースでよく使うのだろう、道路には選手の応援のペイントが残っていた。眠そうな乗客ばかりの中、一人で興奮している自分が滑稽だった。よく晴れた日で山々が輝いて見えた。

バスはフランス国境を越え、終点のブリアンソンに着いた。イタリアではここまでの行き方しか分からなかった。インフォメーションで聞くと、アルプデュエズの麓の街、ブールドワザンまで行くバスが2時間半後に出る。(注:フランス語を喋れると誤解しないでネ。ボンジュール、の後は関西弁なまりの英語と日本語と身振り手振りによるコミュニケーションです。感謝のメルシーだけは忘れずに。)
ラッキー。ちょうど昼時だし街でメシが食える。何よりすごくきれいな街で覗いてみたかった。精一杯の速攻で自転車を組み立て、コインロッカーに荷物を突っ込み街へ向かった。バス停には今年はジロ、ドーフィネ、ツールがこの街に来る!というポスターが貼ってあった。とても羨ましい。

旧市街に小奇麗なピザとパスタとクレープという、粉モンばかり売っている店を見つけた。そういやイタリアでピザを食べてなかったし、と決める。若い夫婦が切り盛りしていた。突然東洋人が現れたせいか面食らった顔をされたが、日本からサイクリングに来たと自己紹介すると急に表情が柔らかくなり、常連客の爺様も巻き込み、いい感じに盛り上がってしまった。
ピザが来た。一口食べる・・・ 大ハズレ。 あっちゃー。 爺様が旨いか?と聞いて来る。親指を立てて微笑みながら、心の中ではせっかくアルプスに来たのだから、やっぱその土地のものを食べなきゃなあと反省していた。

さて、再びバスに乗って目的地に向かう。途中右に曲がればガリビエ峠、という所があったが、雪でまだ閉鎖されていた。アルプデュエズも閉鎖されていたら困るな。まあ、行けるとこまで行くだけだ、いつもと一緒、と思い直した。そしてバスはブールドワザンの街を通り過ぎたところにあるバスターミナルに止まった。

まずグルノーブルへ行くバスの時間を調べた。思ったより頻繁に出ていた。所用時間は40分程だ。これなら気楽に滞在を楽しめる。
次は宿だ。街中まで自転車で戻ろうと考えていたが、ターミナル前の小さなホテルに目が行った。テラスには自転車選手をかたどった飾り付けがされていた。吸い込まれるように道を渡る。40代後半と思われるオーナー。英語はバッチリだ。バス、トイレ付き一泊5千円位、欧州の民宿的ホテルによくあるように、部屋は古いが清潔だ。お湯もきちんと出る。自転車を置くガレージもあった。冬にはスキー類を置くそうだ。

即決した。荷造りしてからの移動が楽だ。フロントで宿帳に名前を書く。この日は俺ともう一組しか客はいなかったが、欧州はもとより南アフリカやイギリスなど様々な国の自転車バカが来て泊まっていた。ツールの時にはプロチームも泊まるそうで、USポスタルやフェスティナの写真が貼ってあった。ビランクの写真もあった。俺の部屋は誰が泊まったのか教えてもらったが、知っている選手じゃなかったのですぐ忘れた。

宿のオーナーの名はボクーさん。アルプデュエズは封鎖されていないという。よかった! 行き方や付近のコースを教えてもらった。この時初めて、ラ・マーモットLa Marmotteを知った。ブールドワザンをスタートし、グランドン峠、テレグラフ峠、ガリビエ峠を経てラルプデュエズにゴールする、長距離市民レース(シクロスポルティフ)だ。毎年7月第1週に開催されている。この時は、またいつか夏に来てそのコースを走ってみたいな、程度だったが、今はレースを完走することが自分の長期目標だ。

部屋の窓からはアルプデュエズが見え、いやおうなしに気持ちが高まる。自転車を組み立て下見に出かけた。バスで通ってきた道を戻り、小さな街を抜けてアルプデュエズの登り口までゆく。途中にキャンプ場や民宿、売店付きガソリンスタンド、スーパーのカジノがあった。当時カジノはツール山岳賞のスポンサーだった。
登り初めのキツい坂を少しだけ登った。
その後は街を偵察。少しパンやオヤツを買ってから、宿に戻った。

夕食は再び自転車に乗り、目をつけていた、川のほとりにある雰囲気のいいレストランに行った。 サービスのお兄ちゃんがフレンドリーで、気軽に相談しながら地元料理に決める。フランス語のメニュー、料理は分からないものが多いが、デザートの頁だけはよく分かる自分に気づき、苦笑いした。
料理は昼の落胆を吹き飛ばすほど旨かった。今回の旅では一番の当たり。デザートを食べる頃、隣の品のいい夫婦連れが英語で話しかけてきた。ロードレーサーに乗ってきた東洋人が、やっぱり気になるのだ。彼らはリヨンから春スキーをしに来た。運送会社の社長さんだと言うのでそりゃスゴイッと言ったら、いや小さな会社だよと謙遜していた。フランスでも日本みたいに「謙遜する」のが美徳なのか、この方の性格か。これがUSAなら俺の会社はリヨンじゃ有名で、トラックを何台所有していて〜と、実際はたいしたことなくても自慢するはずだ。(後で送られてきた手紙には、かなり大きな配送センターの写真が入っていた。)息子さんが香港を拠点にアジアで働いているそうで、それも俺に興味を抱いた理由のようだった。

翌朝、準備を整えて憧れの山に登った。

快晴。そして美しい景色。ペダルを回すだけで歓声が出る。
登りはじめがかなり急なのだが、やがて斜度は一時緩やかになる。21のカーブには歴代優勝者の名が標識になって掲げられている。
キツい。もっと走りこんでから来るべきだったな、と今さら遅い後悔をした。が、すぐに忘れた。念願の場所を今、走っている!
4、5人のサイクリストに追い越された後、1人の中年サイクリストがやってきた。若干俺より速いがこの人なら付いて行けそうだ。挨拶し、ペースを合わせて登る。
無言だが自転車乗り同士の連帯感があった。
中腹の集落で知り合いから声がかかり、彼は止まった。こちらは動き続ける。いい感じで道連れができたのに残念だ。
視界が開いた場所にでて、ますます気分が高揚する。スキー場にはかなり雪が残っていた。そして晴れの日がとても多い場所。なるほど、春スキーには最高だ。やがてテレビで見慣れたカーブが現れた。前方にはホテルが沢山並んでいる。
もうすぐゴールだ!
すでに2時間近くが経過していた・・・・ここを37分で登ったパンターニって!

と、さっき止まったはずの彼が再び追い付いて来た。そこでようやく、彼が俺のペースに合わせてくれていた、ということを理解した。ゴールは彼が先着。そのまま先に進んでいきながら、こっちに来いと腕を振っている。付いて行く。その先に広場があった。
いい景色だ。
自転車をベンチに立て掛け、お互い自己紹介をする。と、彼はジャージを脱ぎはじめ上半身裸になった。鍛えとんなあ、腹筋割れてるし。
俺もジャージを脱いだ。彼にならって汗だらけの体を拭き(自分でね!)、下りに備えてアームウオーマーやウインドブレーカーを素早く着込んだ。


家が近くだから寄っていきなよというお誘いを受けて、下り始める。途中1軒友人のところに寄るという。きっと先刻止まった家だな。
彼、クロードさんの下りは、カッ飛んでいた!慣れているにしても凄い。こちらはタダでさえ遅いのに、ガードレールがない場所もあって、崖に落ちそうでムッチャ怖い。それでも見失ったら困るので、ビビりながらも最速で下った。思った通り中腹の家の前で彼は待っていた。

友人はメッカさんという老夫婦だった。がっちり力強い握手をして歓迎してくれた。白ワインにカシスかフランボワの甘いソース(リキュール?)を入れたものを戴いた。旨いが酔っ払いそうだ。2人の会話にオスローとかコペンハーゲンとかの地名が出てきていた。旅行の話かな、と思っているとクロードさんが英語で説明してくれた。
メッカ夫婦は夏の間他人のバカンス用に自宅を貸して、そのお金で自分達は外国旅行に出かけるのだそうだ。今年の目的地は北欧にしたいがどの国にするか迷っているのとのこと。たしかゴルフのマスターズでも同様な話を聞いた事がある。そりゃ、もしツールドフランスの時にこの家を基地にできたら、最高だ。 
「日本においでよ!俺、案内するし(うわあ、下心ミエミエだあ)」と言ったが、朗らかな笑い声が一度上がっただけで、全く選択肢には入らないようだった。

しばらく談笑してから(俺はワイン飲んで微笑んでいただけ)また山を下ってクロードさんの家に向かう。ブールドワザンの街中で俺はポンプを落として、彼を見失ってしまった。しょうがなく真っ直ぐ進んでいたら、気がついたのか迎えに来てくれた。
彼の家はバスターミナルを越えてしばらく行った住宅地にあった。大きくはないが庭にはプールまである。奥様が驚いた顔をしながら迎えてくれる。家の中はモダンな家具が揃い、山小屋風のメッカさん宅とは正反対だ。クロードさんも旅行好きのようで、リオのカーニバルに行った時の写真が飾ってあった。ここでも白ワインに例の赤いソース入りを出してくれた。きっとこの地方の「お茶」なんだ。ソースが何からできてるか、聞いとけばよかった。

クロードさんが俺達の出会いや俺が泊まっているホテルの話をして説明する。彼女ニコニコ聞いてるけど、大丈夫かなあ。彼がサイクリストを突然連れてくるのは初めてではなさそうだったが、余り話に加わらないとこを見ると実はムッチャ怒ってるのかも。ウチだったら、ケータイで連絡しておけば大丈夫だけど。彼が電話しているところは見なかった。旅行の話や自分の仕事、ブールドワザン周辺の自転車コースの話をしている内に、お腹が減ってきた。
12時近い。知らない振りして居座っていれば、ご飯を出してくれそうな気もしたが、平和のために遠慮する事にした。
お礼を言って立ち上がった・・・・引き止められなかった。


ホテルに戻って買ってあったデニッシュの類を食べたら、午後も山に登る気力が抜けてしまった。そこで午後はブールドワザン周辺をのんびりポタリングした。それは正解で、何回もしつこいが本当に美しいアルプスの小さな街や景色を楽しむことができた。
いつか家族を連れて来たいものだ。

     
              


次の日の午前、もう一度アルプデュエズに登った。今度は写真を撮りながらゆっくり登ったが、途中で両足がツって、道の端でしばらく唸っていた。場所がフランスでも、やってることは日本と変わらない。この日出会ったサイクリストはわずか1名。上下サエコのジャージですごいスピードで抜いて行った。なんとかゴールして、カフェで休憩してから下った。

それから荷造りしてバスに乗ってグルノーブルに行き、TGVでパリへ。着いたら19時過ぎだった。駅の案内所の人が当方の希望格安価格に加え、自転車を置ける場所まであるホテルを探してくれた。地下鉄に乗って向かう。パリの地下鉄は改札口が狭くて輪行に全く向かない。ホテルは北駅の近くにあった。あまりガラがよくない場所なのは駅を出てすぐ分かった。が、フロントの人は親切で、宿泊客も普通の人だった。自転車を置く場所を教えてもらったが、鍵をかけても不安があったので、部屋に持ち込ませてもらうことにした。


パリでの目的は2つ。シャンゼリゼを走る事と、パンと菓子の有名店巡りをする事だ。翌日から2日間、ペダルをビンディングからストラップ式に変えて街中をサイクリングした。


最初に行ったのは、もちろんシャンゼリゼ。テレビで見て思っていたよりずっと凸凹の石畳に驚いた。そして凱旋門に向かって緩い上りになっている事にも。以前(84年だから更に16年前だ)来た時は歩きだったせいか、全く記憶になかった。自転車はいやでも傾斜が鮮明になる。・・・結構シンドイ。こんなトコをあんなスピードで何周も走ってるのか!プロ選手の凄さを実感できた気になって笑いながら走っていた。周りの人はドン引きだったろうなあ。
はじめは石畳、イシダタミと走っていたが、ガタガタと辛いので、凱旋門近くに来る頃には道の端の滑らかな部分を走っていた。
09年のツールで、フミはこの滑らかな所を利用して逃げを決めた。1人テレビの前で歓声をあげながら、もう薄れてしまった走行感をたぐり寄せていた。C美が起きていたらきっと俺はココ走ったんだと自慢して、またあきれられていたと思う。

自転車での有名店巡りも楽しかった。どの店も味、店作りにそれぞれ特長があり、接客がしっかりしていた。日本の観光客だと言うと、殆んどの店が写真撮影を許可してくれた。ただロータリーで抜ける道を間違え、しょっちゅう迷子になってしまうのには閉口した。


ある交差点で「いい自転車だな」と声をかけられた。見た所ごく普通のオジサンである。アルプデュエズを登って来たと言ったら、「42? 39?」と質問された。 ! 思わず姿勢を正して「39です」と答える。オジサンはやっぱりそうだろうと頷き、道を渡っていった。しばらく後ろ姿を見送ってしまった。 インナーギヤの歯数を聞かれるなんて! 
本場フランスの自転車文化は、やっぱり深いなあ。 と、いいように解釈した。
翌日は別のオジサンから、ロードレーサーなんだからビンディングペダル使えよ、と突っ込まれた。
パリの紳士って。 
実は、東京下町のオバチャンに似ているかもしれん。


最後の晩。夕食をとった後、酔い覚ましに散歩していると公園で前衛芸術のような劇をやっているのに出くわした。見物客もたくさんいた。よく分からないのだが引き付けられ、結局最後まで見てしまった。22時を過ぎていた。あんなの公園でやるなんてさすが芸術の都だ、今回の旅行もいろいろ面白かった。いい気分で帰る途中、野暮ったいノロマそうな兄ちゃんに声をかけられた。
自分はイタリア人観光客で明日モンマルトルの丘に行くのだが道を教えてほしい、と。俺も観光客だから分からないと去ろうとしたが、地図だけでも見てくれない?と頼まれた。しょうがないなあ。地図を覗き込む。そこに2人の男が駆け寄ってきた。黒い何かを素早く見せ「警察だ!」
1人がイタリア人の腕をつかみ、押さえる。
しまった!     こいつら、 3人組だ!
しかしすでに歩道の奥で囲まれた形になっていた。
ノロマなのはお前だ、  この大馬鹿者! 
刑事の1人がまくしたてる。「コイツはクスリの売人で見張っていたのだ、 お前も買ったのか? クスリを出せ、日本人? だったらパスポートを見せろ、日本円を持っているはずだ、日本円をみせろ・・・」
 地球の歩き方に書いてあったサギ話そのままやんか・・フランス語で「助けて」ってなんていうんだ?
ワタシ、エイゴ、ヨクワカラナイとごまかしながら、頭をフル回転してどうするか考えた。向こうは気付かれていないと思って芝居を続けている。刑事役がちょっと視線を外した。 体が、右にダッシュした。ダッシュした自分に驚く。
「ヘルプ! ヘルプ!」大声で叫びながら、全力疾走する。救援者は現れない。
追いつかれたらおしまいだ、早く人のいる場所へ逃げろ!・・・怖くて後ろを見ることができない。 少し明るい通りに出て、やっと振り返った。


いない。    助かった !

まだ用心しつつ、宿へ向かった。
体は無事だし、何も盗られずにすんで良かったと思う気持ちもあったが、自分のマヌケさに物凄く腹が立っていた。 カフェで気持ちを落ち着けようとしたがダメで、 酒屋でビールを買って帰り一気に飲んで、 寝た。




空港に向かうバスに輪行袋を預けると、係のオジサンが「サイクリングか?」と話しかけてきた。 日本人がレースの事や、ビランクのドーピング事件まで知っているのが面白かったようで、わざわざ同僚を呼んで俺の事を説明し、2人で喜んでいた。


みんな、自転車レースが好きなんだ。


もうひとつオマケがあった。関空で自転車は出て来たものの、リュックが出て来なかったのだ。ミラノで乗り換えた時、別便に乗せちゃったらしい。数日後ウチに届いたが、土産のお菓子類は粉々になっていた。




ちょうど10年前の話。  もう一度、あの山を走りたい。


○アルプデュエズ・データ
カーブの数:21
スタート:ブールドワザン 標高717メートル
ゴール:アルプデュエズ 標高1860メートル
距離:14.454キロ
平均勾配:7.9%
最大勾配:14%
コースレコードマルコパンターニ 1997年 37分35秒 平均時速23.08キロ

アルプデュエズのサイト
ブールドワザンのサイト
宿泊したホテル・オーベランド

了。 〈2010/01/08〉