クランクブギ CRANKBOOGIE

自転車と、ブルースと、旅と。

ラ・ベルナール・イノー、2006


 ブルターニュ穴熊、ベルナールイノー。 と言っても、既に俺の周りでは知っている人は少ない。自転車を始めた頃にNHKの番組を見て、多大な影響を受けた自分にとっては最大のヒーローだ。彼は本物のプロフェッショナルだ、と思う。その時々の自分の為すべきことを的確に把握し、それを完遂する。「プロとして金取ってるのに中身は素人」が自分の周りに増えてきたので、よけいに憧れる。ツールドフランス5勝以外に様々なエピソードがある。大寒波のLBLを凍傷になりつつ独走優勝したり、大嫌いと公言するパリルーベでベロドームに入ってから風を利用したスプリントで勝ったり。一方、世界戦直前バスの中で作戦会議と称してブルーフィルム(懐かしい言葉だ)を見ていたとか、家に自殺志願者が突然やってきたとか。パリ〜ニースでデモ隊と殴る蹴るのケンカをしたのはキャリア晩年の大ベテランになってからだ・・・2008年のツール第3ステージ表彰式では昔取った杵柄か?闖入者を見事に強制排除した。その映像はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=y6lhnlbN3zo

 
 このレポートは2006年に参加した、イノーの名を冠したシクロスポルティフについて。シクロスポルティフはフランスで行われている長距離市民ロードレースだ。基本的にマラソンのようにオープン参加型一斉スタートで、カテゴリーが分かれているわけではない。プロからカメまで、それぞれ自分のペースで、自己責任で走りなさいという、いかにもフランス的な競技大会である。
 ラ・ベルナール・イノー(La Bernard Hinault http://www.labernardhinault.fr/index.php)は、彼の故郷であるフランス北西部のブルターニュ地方イフィニアックの近郊の大きな街、サンブリュー市を起点に、イフィニアックから海岸に出て美しい岬を通った後、内陸を回り、再びイフィニアックを通ってサンブリューにゴールする。丘陵地帯の230kmのコース設定だ。03年のツールドフランスで使われた道もコースに組み込まれている。別に、ショートカットする110kmのコースも設定され、こちらには奥さんの「マルティン・イノー」の名前がついていた。07年からは更にコースが増えて、より参加しやすいように変更され、8月から6月に開催時期が移行している。コーディネイトは(株)ユーレックス、フィールズ・オン・アースの久保さんにお願いした。
http://www.fields-on-earth.com/



 前日に受付。まずイフィニアックに向った。美しい小さな町というか村、だ。パン屋さんにイノーの家を聞き、その後も何人かに聞いてようやく探し当てた家は、敷地は大きいが想像よりも質素だった。イザとなって尻込みする俺に、せっかく来たんだからと、どんどん突撃する久保さん。
ピンポーン! 出てきた方はイノーのお父さん。20年前の番組で見た、まさにその人だった。突然来訪した日本人2人組に驚いただろうが、親切に応対してくれた。ベルナール本人は、今は別の村に住んで農場を営んでいるそうだ。俺は心の中でイノー父が20年前の風貌とあまりにも変わらないことに驚いていた。(妖怪ナントチャウカ・・?)


 サンブリューに入り、受付。漢字でサインしたら大受けだった。ゼッケンは7番。初の日本人参加者に特別待遇だ。それは86年ツールのレモンと同じ番号なんやけど・・
募集要項には3000人と書いてあったが、06年は暫くぶりの開催のせいか、参加者は500人程であった。これはちょっと焦った。3000人も走るなら自分の実力にあった集団に乗れるだろうと踏んでいたが、この人数では単独で走る可能性が高い。久保さんも急遽一緒に走ってくれることになった。(事前練習を見て、俺の実力ではヤバイと思ったんやろなあ)その後 車でコースの約半分を下見した。
 戻ってくると・・・ベルナール・イノー本人と会うことができた。もう、アキマセンワ。
思うように言葉が出てこない。自分の年齢を考えると恥ずかしいが大感激!! サインをもらい、日本から持ってきたお土産を渡す。奥さんのマルティンさんも息子のミカエルさんも一緒。一家みんなに会えてしまった!(息子さんはもう一人、アレックスさんがいらっしゃいますが)

興奮冷めやらぬ中、宿でパスタ食べて、翌日に備えるのであった。



レース当日。朝から気温は低めながら、晴れ。フランス入りして一番いい天気。だが油断してはいけない。ここはブルターニュなのだから。隣のノルマンディーの天気予報は毎日「晴れ後曇り後雨」と久保さんが言っていたがブルターニュもそんな感じなのだ。日が照ると暑くなり、雨が降ると寒い。それが「普通」なんだそうだ。

 朝7時半にスタート。昨晩の作戦会議では、自分の頑張れるペースより少し楽な集団を見つけて一緒に行くということになっていた。ロングライドの基本である。

 スタートして7km、イフィニアックを通過。イノー父も沿道で応援してくれていた。この頃には似たようなペースの選手が集まって小集団ができてくる。これはいい感じやん!と思っていたが、上位集団から降って来る人が増え大きな集団になると、かなりスピードがあがってきた。平均心拍160はイッテル(最大心拍数の90%付近)が、なんとかついている状態だ。「イフィニアックの丘があったから自転車選手になれた」とイノーが言った、その丘陵地帯は、急斜面や長いアップダウンが続く。集団メンバーの主な年齢は50代から60代。
「ボンジュール!」とアイサツすれば、皆、声かけてくれたり、かまってくれるのが嬉しい。(といっても俺はフランス語ができないのだが。)気分は相当ハイになっている。心の中では「ハシャギすぎや!ペース落とさないと持たんぞ。作戦と全然違うことやってるやん!」と思いつつも、集団から切れるのも怖いし「このままこの集団で行きたい! いや練習の効果がでて、かなりイケルんちゃうか?」とまで思っていた。海岸線にでて60km地点にある美しい岬を越えても、しばらくは二重丸のデキで走れた。

 しかし内陸に入ると、自分の実力が隠せなくなってきた・・・登りの度に集団最後尾まで遅れる。さすがにつらくなってきた。みんなはしっかり登っていく。力の差は歴然としている。そして強い横風。テレビで見るように集団が道幅いっぱいに斜めになって進む。力のない俺はローテに入れず後ろにつくのが精一杯で、これがまたキツイ。(けどこれがフランスなんだと思って、嬉しい・・)
 約100km、とうとう久保さんからこれ以上追い込むとマズイと撤退指示がでる。
ペースを落とし後ろの集団を待ちながら進むが、太腿が軽く攣った。来た!毎度おなじみのパターンだ。水の飲み方が足りないと指導を受ける。暑い時には30kmに一本位のペースで飲まないといけないそうだ。しかしクランプストップで復活し約4時間で120km地点のエイドに到着。予定していたよりもずいぶん速い。オーバーペースでもここまで来た事は自信にもなったが、登りの力不足も改めて浮き彫りになった。
 エイドでびっくりしたのは。マルティンさんが皆にサービスしていたこと。水、りんご、バターケーキなどが並ぶ。そして、そば粉のクレープ+ソーセージ、旨かった!



 しばらく休んだ後、さあ、あと半分!と再び走り始めるが、前半無理したツケは大きかった。登りで足が完璧に攣り、とうとう自転車を降りてしまう。こうなるとクランプストップもアスリートソルトも効かない。シップを貼って負担をかけないように軽いギアでゆっくり進むことしかできない。5回は止まって筋を伸ばしたろうか?
「ロードレースに奇跡は起きない」漫画シャカリキの由多監督の言葉が、頭の中でリフレインしていた。本当、次の190kmのエイドまでは長かったなあ。 普段のサイクリングでは淡々と距離を刻む時間帯も大好きなのだが、この時はさすがに体は参っていた。ただ気持ちだけは「絶対、走りきる」
 もう周りには誰もいない。完全に久保さんとの二人旅だ。かなり予定の時刻をオーバーしているのではないか。それでも、曲がり角やロータリーにはボランティアの人が立って応援し、ルートを示してくれる。いくら田舎道とはいえ公道だから、日本じゃ考えられない。自転車レースのために何時間も何も無い交差点に立ってるなんて。「文化の差」・・・言葉では簡単だが。
2回目のエイド後はかなり復活し、足も攣らなくなったが、今度は前方に大きな雨雲が現れた。逃げるわけにはいかずコース通りに突入する。スゲー大雨! たまらず木陰で雨宿り。少し小降りになったので走り出すが、凍えるくらい寒い。(サンブリューではヒョウが降ったそうだ)
その次にはパシューン!っていい音が! 後輪がパンクした。震えながら修理して慎重に走りだす。やがて雨が上がると、とたんに気温も上がった。ブルターニュの天気を満喫し、なんとかようやくイフィニアックまで帰って下りを飛ばすと、最後の最後で激坂の登りが現れた!
我々は下見していたので良かった。同宿の人はこの坂を知らず、下りからアウターで入って立ちゴケしたそうだ。知ってはいたが、俺はもちろん、まっすぐ登れませーん。

でも、まあ。とにかく。
完走! 記録10時間11分56秒 360位だった。
嫁さんにも胸張って報告できる。実はこの翌日は息子の一歳の誕生日だったのだ。夫を理解してくれる(あきらめている?)C美、ありがとう。バカンスシーズンとはいえ、平日なのにゴールには沢山の人たちが見に来ていた。  
 

 日本から来たということで、終了後のパーティーにまで招いていただいた。サンブリュー市長に「よく来てくれた」とお礼を言われ、不思議な気分だった。運営の人たちの人柄や方針もあると思うが、本当にブルターニュの方たちのホスピタリティは素晴らしい。ボランティアや、宿の人々も気さくで楽しかった。
食べ物は牡蠣やロブスターをはじめとした海産物をはじめ、肉もパリと違って柔らかくて美味い。バターの美味しさは世界的に有名だ。日本でも、かつてはクレープ、クイニーアマン、最近は塩キャラメルといったブルターニュ銘菓が流行したので、これからもっと人気が高まると思う。女性に人気のタラソテラピーはツール3勝のルイゾン・ボベが広めたのだと言うし・・・
 非常に幸せな230kmだった。フランス自転車文化の奥深さを少し覗けた、とても貴重な経験ができた。今まで個人で二回欧州をサイクリングしたが、それとは違う、別の発見と達成感があった。シクロスポルティフは、欧州では専門雑誌もある。大きな大会の攻略DVDも出ている。アマチュアで強い人にはメーカーがスポンサードしているのだそうだ。プロ使用より販促としては効果的だと思う。


 2008年。イノー夫妻が来日した時は”もちろん”家族を連れて神宮外苑クリテリウムに行った。クリテを走れる程強くはありませんのでオープンライドで。イノーの隣で少し走らせてもらった。佐多さんに大感謝だ。夫妻は俺を覚えていてくれた。相変わらずフランス語は話せないのでロクなコミュニケーションは取れないが。楽しかったのは「日本人イノーファン」として俺のマニアレベルは相当高いだろうと自惚れていたが、他の方がサインを求めて差し出す様々なものを見て、その自信がアッという間に崩れ去ったことだ。こんなにファンは多いんだと嬉しかった。なんといっても自分の息子に「いのー」と名づけた方がいらっしゃること! 最高だ。ウチのセンタと年が近いので、いつかレースで会えたら素晴らしいんだけどなあ。
 マルティンさんはその後08年4月に住んでいる村の村長になった。さもありなん。気さくだけど判断の早い、シッカリした人だから。実はアノ二人、結構似たもの夫婦なんじゃないかとも思う。(ツマリ,オコッタラ・・・)


ラ・ベルナール・イノーへの参加を強くお勧めするが、ジャラベールやビランクの名前を冠した大会もある。「初めての日本人参加者」になれる大会もまだ多いだろう。俺自身はこの大会に出たことで、ガリビエ峠を走りアルプデュエズにゴールするシクロスポルティフ、ラ・マーモットを完走することが「目標」になった。コツコツ貯金と脚力強化の作業中だ。
この文章を読んで下さった、あなたも。是非シクロスポルティフを体験してみてください。



了<2006/9/2/  改稿2009/3/20, 2012/3/27, 2015/8/28 写真 N.KUBO,tsuru-585>