クランクブギ CRANKBOOGIE

自転車と、ブルースと、旅と。

ツールドおきなわ市民85キロ、2008

結果;またもや高江関門回収


〈前日・11月8日〉
 朝5時の電車に乗る。全日空那覇へ。機内の「おきなわ」特集チャンネルでは、安田辰也の唄う「奇跡の1マイル」がかかっていた。安田辰也さんはチームキッズのがんパパの弟なのだ。国際通りをテーマにしたアップテンポの曲で、サビの所はすぐに覚えてしまった。♪きせきのいーちマーイル 歩き続けるぼくの好きな道〜 沖縄滞在中も、帰って来てからも、つい口ずさんでしまっている。 移動はトヨタレンタカーのbB。輝く黄緑色でカナブンみたいだ。使ってみれば駐車場で目立つので楽だった。昼飯はA&Wハンバーガーのテイクアウト。ルートビアを飲みながらのドライブが沖縄気分を盛り上げる。
 名護で受付。福島康司選手を見つけ、一緒に写真を撮らせてもらう。その後水やお菓子を仕入れオクマリゾートに着いたのは、15時前だった。チェックインして自転車を組み立てて着替えたら、16時過ぎ。もう夕方だ。30分程軽いギアで走る。組み立てた自転車の状態を確かめ、体をほぐし、一度心拍数を上げておいた。同行のPさんは更に走って与那の登りを2キロ試走したそうだ。
 17時半から夕食。一番だった。バイキングで炭水化物主体に食べて、長風呂。これは05年に120キロで優勝したM田君の真似だ。風呂ではM吉君から教えてもらった「水シャワーを足にかけてからお湯で温まること」を4回繰り返す。少し足が軽くなった感じがした。21時過ぎに就寝。

〈レース当日・11月9日〉
 4時30分起床。良く眠れた。雨は心配していた程には強くなかった。5時から朝食。茶碗に軽く盛ったご飯と味噌汁。少しのおかずとフルーツ、そしてエスプレッソ。品数の多いバイキングで、食べ過ぎないよう誘惑に勝つのが大変だった。 自転車と荷物を預け、7時前にバスに乗ってスタートの辺戸岬へ。
 雨対策のウエアは、上からヘルメット、サイクルキャップ、クリアレンズのサングラス、クールアンダー、半袖ジャージ、アームウオーマー、夏用ベスト、レーパン。待ち時間用に百均で買った80センチのビニルカッパ。足には熟成まー油とスタートオイルをたっぷり塗った。(気温は最低20℃、最高23℃)
 辺戸岬の待ち時間。今年はオッティモからS田さん、Pさん、俺、スワッチからはSさんと、4人もいて楽しく過ごせた。アップは昨年と同じく宜名真トンネルの先まで。9時過ぎにスタート地点に戻るとすでに列が出来ていた。Pさんの姿も見える。トラックにカッパを預け、俺も列の後ろに並ぶ。結局オッティモ勢はみんなバラバラの位置になった。 しかし、俺の左にはtoRideの方が3〜4人、右後ろにはセマスの人がいる。無茶苦茶ローカル。関東どころか常磐沿線レースみたいやんか!なんか心強い。地元では会わないのにね。後ろには金沢のチームローマンの方。ローマンの人のブログを読んだことがあると言うと、なんとご本人のちふさんだった。著者と話せて光栄です。その隣は神戸のZUZIEさん。盛り上がっていると、右隣の人が僕は地元沖縄ですよとか、その隣の人がオレは名古屋だけど嫁が名護出身で義父がゴールで待っていてそれが一大プレッシャーなんダァとか、話の輪が広がっていった。みんな初対面なのだがそんな気がしない。こんな風に友人が増えていくのも沖縄の楽しみだ。
 
 スタート時間が近づくが、チャンピオンクラスが通過する気配はない。雨で遅れている。チャンピオンが通過しても、女子国際85キロが出て10分後に市民85キロのスタートなので、まだ待たなければならない。雨に打たれて寒くなってきた。予定の時間が過ぎても状況に変化なし。さすがに足切り時間が気になりだした。レースの展開が遅れても、交通規制の関係上、関門の時間は変わらないハズだ。
 今年は絶対完走するために、最初の平地は飛ばさずサイクリングで行く予定だったが、遅ければ当然それで終わり。どうしよう、15分遅れ位がサイクリング作戦の限界だな・・・それ以上遅れた場合はスピードを上げて走らないと、高江はおろか、その手前の普久川ダムの関門で切られてしまう。しかし最初からペースアップすれば今までのように足がツって高江で切られる可能性が高くなる・・・どっちが完走できそうだ? 五分五分か・・・
最初からガンバルコトにした。もし失敗しても後悔度は低いだろう。4回目の挑戦で、嫁さんとの約束があり失敗は許されないのだが。結局、市民200キロの集団通過も待ち、30分近く遅れてスタートした。ペダルをはめるのに手間取ってしまう。ちふさんや、toRideの方達はあっという間に見えなくなった。

 宜名真トンネルを抜け、最大心拍数の90〜95%、40キロ以上のスピードで走る。集団はすごく長くなっており、先頭は見えない。雨と前走者の飛沫を浴びながら、しばらく走るとS田さんが前にいるのが分かったが、なかなか詰めることができない。(当然です。)
 次のウテンダトンネルで大きな集団落車が起こっているのが見えた。突入した選手が次々に転んでいる。氷の上のように横滑りしていく選手がいる。起き上がって走り始めた人が再び転び横の選手を巻き込んでいる。先行のS田さんはうまくかわしながら進んでいく。自分も更に減速して突入する。暗いトンネルの中は大変なことになっていた。倒れている人、座りこんでいる人、注意を促す叫び声、散乱したボトル、重なった自転車・・・なんとか間を抜けて突破。アイウェアをルディのクリアレンズにしておいて良かった。オードビーで買った度付NXTレンズだ。視界が広くてよく見える。この「大落車祭り」でS田さんに追いつくことができた。俺を含む7、8人の集団を引っ張ってくれる。頼もしい。

 与那の登り口でS田さんにお礼を言って別れた。というか、登りではついていけない。自分としては追い込んで95%近い心拍で登っていった。それなりに順位は上げたと思う。雨でパンクした選手が何人か脇に止まっていた。ゲルフラスコが落ちている。俺のか?と思わず腰のポケットを探る。ある!だいたい前に落ちているのだから自分の物のはずがない。オレソウトウイッチャッテルヨナ・・自分に苦笑した。ゲルフラスコはその後二つは落ちていた。27分かかって照首山の山頂を越える。すでに時刻は11時を過ぎている。11時15分が普久川ダムの制限時間だ。テクニカルなカーブを慎重に下る。右のブラインドコーナーの入り口で2、3人の選手が右を指し「落車!」と教えてくれた。より慎重に曲がると先ほど抜いていった選手が転んでいた。教えてくれた人もこのコーナーで落車したのだろうが、ありがたかった。プロ3グリップを履いていて良かった。プロ3レースよりずっとグリップが良い感じ。レッドストームの方がグリップ力は上の印象だが、あれは2000キロで細かいヒビが入ってしまったからなあ。
普久川ダムの関門を11時10分頃通過。最初から頑張って良かった。(記録を見直すと54分で、07年よりは3分遅い。)関門を過ぎてすぐ、「つるパパ!」の掛け声とともに130キロ参加のE藤君が抜いていった。元気が出た。補給を取り、長いダウンヒルを下りきるとスワッチのSさんが抜いていく。「一緒にいきましょう!」と誘われたと思うが、彼のペースが速くてついていけなかった。

 安波から高江の登りに入る。ここから15キロ程が俺の乗越えるべき最大の課題だ。アップダウンの繰り返しにリズムが乱れ、足がツってしまうのだ。4回目の今年も上手く登れない。登りはじめは時速8キロ。なんやそれ!もっとスピードだせ!と心の中で気合を入れて必死に進むが、スピードに乗れない。トラウマになっとる。時間はどんどん過ぎて行く。130キロ参加のY村さんが笑顔で抜いていく。思わず「あと11分で高江の足切りだぞ!頑張ろう」と叫ぶ。スピード出せないくせに声だけは出るのだ。彼は「オウ!」とか何か言って、気合を入れて走っていった。ヨシッ俺も!と、後ろに付こうとしたが、これまた付けなかった。ただでさえ向こうが速いのに、俺の行動開始が遅すぎる。救いは足がツらなかったこと。何重も施した対策が効いている。高江の関門時間に間に合うにはかなり厳しいが、あきらめが悪いのが俺の悪いところだ。ツラナキャ進めるンだ、付ける人には付き、また先頭交代しながら走っていく。
 関門時間の11時35分を過ぎた。でもまだ「もしかして、本当に関門時間が延ばされていたら絶対後悔する」と思い、カデナロケッツの人と全力で頑張る。先頭交代したら後ろに付けずに遅れてしまった。今度は短い登りでU田閣下が抜いていった。
!! 追いかけるが間に合わない。4年連続、同じかよ!まいったなあ。下りになったところで4、5人の小集団がやってきた。今度こそ!と列車の後ろになんとか取り付く。集団に取り付くとリズムが戻ってきて、ようやく足が回りだした。カデナロケッツの選手を吸収し、去年止まってしまった「ヘリパッドいらない」住民の会の座り込みテントを越え、いよいよ高江関門へ。
頼む! 開いていてくれ! 
赤旗が振られた。
「あーっ」「○×△▼◇!!」
皆から声がもれる。既に11時50分を過ぎていたので、さぞや選手があふれているだろうと思いながら左の共同売店の道を上がる。
なのに、誰もいなかった。
 不思議そうな顔の俺達に制限時間が15分ともう少し延長されていた事が告げられた。閉めたのは本当に1分前位だそうだ。なんてこった! 俺達が足切りホボ第1号ってこと?急遽交通規制を延長するなんて素晴らしい運営だ。延ばしてもらったのに足切りになる俺って、「単純に遅すぎる」わけだ。でも。負け惜しみだけど。 教えてほしかったよな。知っていたら速く走れた、とも思えないけど。

 嫁さん(C美)と3歳の息子(S太)との約束を、今年も果たせなかった。二人はゴールで待ってくれている。自転車で帰ってくるから待ってて、という約束。完走できなかったら来年から出ないから、今年は一緒に沖縄に行く、という約束もあった。

 もう、回収バスには乗りたくなかった。
「ゼッケン外したら、自走で帰っていいんですよね?!」と強引な口調で大会スタッフに確認する。チップだけ外せば、ゼッケンつけたまま自走帰還していいとの返事を得た。トイレに行ってすぐ出発した。下り基調のアップダウンを80〜85%の強度で踏む。3年ぶりに走る道だ。

 1分早ければ、去年の自分を越えられた。
サニーボーイウィリアムスンのブルース、「99」を思い出していた。〜100ドルあるかって、おまえは聞くけど、俺が持っているのは99ドル〜
俺の足りない1ドルは、根性だ。

 そんな奴に沿道の人々は声援を送ってくれる。ユキリンの選手が追いついてきた。この人は完全に流しているのだが。Y根さん。後から有名な方だと知った。20分で平良の関門まで来た。チップ取ったからと言って通過しようとすると、それでも走っちゃダメだと道をふさがれた。強硬な姿勢である。あれっ?これはもう一度ゴネル(回収バスに乗れない人数がDNFになるから行かせて)か、泣き落とし(家族がマッテルンデスウ)で交渉しよかと思いながら周りを伺うと、この関門には警察の方がいた。ああ、それでカタイこと言ってるんだな。ここでゴネたら他の参加者やスタッフにも迷惑がかかる。あきらめよう。 しかし、結局こうなるのか!!
 駐車場の奥に、見慣れたアイツが止まっていた。「よっ!」っと挨拶したように見えた。
バスのくせに。やっぱ、乗りたくねー。しばらくボランティアの人と談笑しつつウダウダしていたら、もう出発するからと促された。別れ際にバナナを一房頂いた。バスに乗りこみ、同乗の夢破れた男達に1本づつ配る。居酒屋の常連みたいだった。4回も乗る奴は確かに「常連」に違いない。4年間。オリンピックだ。小学一年生は四年生になり、大学生は入学して卒業し、4年前に生まれた赤ん坊は満3歳の子供になる。それだけの時間を使っても進歩できなかった。根本的に練習変えないと無理だ。今までは「足攣り」しないようにすれば完走できると間違った認識をしていた。まずC美に許してもらわないとな・・・
バスに乗り込んだスタッフが携帯電話で連絡を取っている。こちらは25人位は乗れます、そっちは・・・100人以上・・・。ここは常連が確かめねばなるまい。大きな声で質問した。
「もしかして高江に行くンですか?」 
「はい、高江でバスに乗り切れない人が出ているので、一度高江に行ってからゴールに向かいます」 思わずのけぞるY根さん。これは名護に戻るのが相当遅くなるぞ。
 さっき走ってきた道をバスが逆走する。途中、満員御礼の回収バス2台(3台か?)とすれ違う。自転車で帰る人も多い。この人たちはこのまま自走でゴールまで帰れるだろう。俺はタイミングも悪かったわけだ・・・

 その頃C美とS太は、雨の中ゴールで俺を待っていた。S太は次々に帰ってくるチームの仲間を「おかえりー!」と迎えながら、「父ちゃん、帰ってこないねえ・・・おんなじ服なのになあ!」・・・昼ごはんを先に食べようとC美が言っても、「お父さん帰ってくるって言った。お父さんと食べる」と結局、昼抜きで待っていたのだそうだ。

 バスは高江で選手を回収したが最後の4、5人は乗せきれず、その人たちはスタッフの車で帰ることになった。バスはまたコースを走り、14時すぎにようやくゴールの名護市民会館に近づいた。雨はあがっていた。誰かの携帯が鳴った。仲間と連絡を取っている。「あっ、そう、そのバスです・・・今、ゲートをくぐりました! 感動のゴールです。」どっと笑い声と拍手が起こった。二人を探すが見つけられなかった。預けていた荷物と自転車を受け取る。荷造りをしていたスワッちからT末さん優勝を聞いた。凄い!歴史的な日だ。

  S太が走って来た。後ろのC美の目が怖い。(昼飯抜きだからよけいに)約束守れなかったことをあやまる。「お父さん、帰って来なかったね!」
覚悟はしていたがツライなー。
がんパパさんと会う。二人を紹介したら、ああ、ゴールにいましたよね、つるさんの家族とは分からなかったけど、といわれた。C美とS太は目立つのである。がんパパさんは85キロの申込に間に合わず、今年はシニア50キロを完走したがちょっとしたハズミで第一集団から切れてしまったと、結果には不満そうだった。

 自転車を箱詰めしているとS太が突然「ハッピーランドはどこにあるの?」と言った。
へっ?なにそれ? C美が解説する。俺が余りにも帰ってこないので「お父さんはハッピーランドに行っちゃったんだよ」と結論づけたのだそうだ。子供心の完全な創作だ。それにしても“ハッピー”ランドかあ・・・「ヤンバルの山の中にあるんだ」と答えた。

 15時30分から表彰式とパーティー。実は市民200の表彰式が豚の丸焼き解体と重なってしまったので豚はC美にまかせ、動き回るS太を連れてビデオ撮影していた。そんな状況なのに、T末さんが一番高い所に上ったらジワっとくるものがあった。梅丹の新城君が優勝して嬉しかったけど、身内の優勝に比べたら実はどうでも良くなっていた。豚の丸焼きは今年もうまかった。飛行機の時間があるので皆は早く帰った。がんパパさんとゆっくり話したかったし、ちふさん達も探したかったが、子連れではそういうわけにもいかず、我々はしばらく砂浜で遊んでから、晩ご飯を食べに名護市内のひんぷん山羊料理店へ向かった。
 店に入るとなんかオシッ×のような匂いがした。料理も同じ香りかなと身構えたが、それは杞憂で、刺身を口にした時には思わずウマイと声がでた。汁はヨモギの苦味が効いていて肉の他に色々な内臓が入っている。確かにクセは強いがこれはこれで面白く、旨い。汁にはご飯が付いてくる。でも量が多くて食べ切れなかった。パーティーで既に食べていたし。お店の方は雨のクリテリウムでたくさんの選手が転んですごかったと話してくれ、S太に親切にしてくれた。

 ホテル21世紀に宿泊。身体は疲れている。風呂から上がって寝床に入ったが、全然眠れない。山羊を食べたので、さとなおの「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)の再現かとも思ったが、一緒に食べた二人はソッコーで熟睡している。頭の中で会場のテーマ曲がリフレインして止まらない。
ただ落ち込んでいた訳ではない。悔しがっていただけでもない。
といって来年の練習計画を考える程前向きでもなかった。
朝4時をまわってからやっと少し眠った。

〈翌日・11月10日〉
 新しい一日!
 今日も雨がちな天気だが強くは降らないようだ。定番のちゅら海水族館へ。 ジンベエザメの大水槽に、ワアッ と喜んでもらおうと思っていた。これも定番になった水槽横のカフェに座ってじっくり眺め二人共うれしそうだったが、S太が一番楽しんだのは入り口にある、ナマコやヒトデをつかめるコーナーだった。そのためだけに再入館したもんな。ナマコ一筋。係りのお姉さんが、オマエラエーカゲンニセーヨという視線を送ってくるのを感じつつ、遊ばせてもらった。も、実際それでタイムアップ。俺としては名護の公設市場とかも行きたかったのだが。喜んでもらうのが今日の目的だから、大成功だ。16時発の飛行機で帰る。空港2階のFugetsuのスナックコートで仕入れたサンドイッチとおにぎりがうまかった。 20時過ぎに帰宅。
 やっぱりツール・ド・おきなわっていいよなあ。

  了<2008/11/29 改稿2009/2/28>