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クランクブギ CRANKBOOGIE

自転車と、ブルースと、旅と。

ハンガリー、1986

bicycle travel

地平線が見渡せるような広い大地を自転車で走りたかった。
社会主義国がどんな所か見てみたかった。
いろんな恐怖話を聞くアエロフロートに乗ってみたかった。
初めての海外サイクリングにハンガリーを選んだのは、そんな理由からだった。
行くと決めた後はガイドブック始めハンガリー動乱に関する本まで読破し、情報収集した。
ゴールデンウイーク。明石から新幹線で輪行して成田、モスクワ経由でブタペストへ。
飛行機は話に聞いていた程にはボロくなかった。眼下に広がる風景は何時間もツンドラでそれは圧巻だった。スチュワーデスは噂通り立派な体格の年配の方ばかりだったが、鬼のような形相で怒られることはなく、親切だった。自分が品行方正な乗客だからであろう。

 モスクワでトランジット。税関の係官がボールペンをくれ、タバコをくれというのをひきつった笑顔で断りつつ、照明が暗いトランジット用ホテルで一泊した。
翌日、早朝の飛行機を待つ間、建築関係の仕事をしているアルジェリア青年と話をした。古い建築を見に来たのだがソ連では肌の色で何回も差別を受けたと静かに怒っていた。
その時有色人種は俺達だけで、周囲が我々を避けている雰囲気は確かに感じていた。
彼はラジカセで音楽を聴き始めた。
“get up, stand up, stand up for your right”
俺は初めてボブマーリーの歌を聴いた。


ブダペストは快晴だった。心配だった自転車はちゃんと無傷で出てきた。街中までバス。到着したバス停で自転車を組み立てると気分は高揚してくる。まず本屋で英語・ハンガリー語の携帯辞書と地図を買った。それからスーパーで軽食を買って公園で食べていると、小学生の男の子2人組が興味津々で見ている。早速辞書をひっぱりだして「ヨーマシュトキーバーノク!」(こんにちは)と言ってみる。笑い声と共にいろいろな言葉が返ってきた。
おっ、通じとるようやんか! しばらく変な顔のしあっこをしたりして、遊んだ。
おかげで、モスクワ空港から固まっていた気持ちが一気にほぐれた。


 よしっ、ブダペスト観光は後にして、一気に目的地のホルトバージまで行こう。
そこは馬の生産地だ。モンゴルから続く大平原の西の果てである。
列車に乗り込む。結構混んでいて客室に輪行袋は持ち込めなかった。自転車を放って置くのは不安なので一緒にデッキで座っていた。
途中からトルコのオジサン3人が乗ってきた。どこかに出稼ぎに行っていたが久しぶりに帰るのだという。最初はカタコト英語や身振りで適当に仲良くやっていたのだが、その中の一人が酒を奢れと言い出し、断ったことで一気に険悪になってしまった。彼らから見れば日本人は全員金持ちであろう。奴は首を切るマネまでしだした。ヤバイ・・・
他の二人は困惑した感じで成り行きを見ているが、止めるわけでもない。
その時、列車が止まった。

 俺はデイパックと輪行袋を引っつかみ、駅に飛び降りた。
オジサンたちが急に慌てて、待て、この駅はまだお前の行き先じゃないぞ!と教えてくれているが、これ以上一緒にいてもこじれるだけだ。
列車を見送りながら正直ほっとしたのと、逃げるしかなかった悔しさと、怒りが入り混じった感情が渦巻いていた。駅名の看板を読む。やたら長い。トロツクケントミクロス。それがその土地の名前のようだ。きっとトロツキーだ。社会主義国なのだった。
気を静めながら次の展開を考える。
俺はハンガリーに来たんだ。外国人同士のトラブルで旅を台無しにしてたまるか。
次の列車を待つのが順当だが、予定があるわけじゃなし。今日はここで一泊してみよう。駅員にホテルはある?と訊いてみたが、首をすくめて、指差すだけだった。
きっとそちらの方向に街があるのだろう。


その方向に自転車で10分程走ると確かに街があった。小さな街だった。ホテルを探しながらウロウロする。午後3時を過ぎている。そろそろネグラを確保したい時間帯だ。なんか、宿は無さそうだぞ・・・と、小さな看板にギムナジウムと書いてある建物を見つけた。学生寮だな。欧州では夏休みなどに旅行者が泊まれる学生寮がある。泊まったことはないし、今は休みじゃあないけど・・・
ちょうど玄関先でアゴヒゲ男と口ヒゲ男が俺を見ていた。職員の方だろうか。思い切ってアゴヒゲ男に言ってみた。自分を指差し「ヤパンツーリスト」「トゥナイト」そして両手を合わせ枕にして顔を横にするポーズ。「泊まれない?」と尋ねたつもりだ。彼は一度引っ込み、そしてすぐ戻ってきて「OK」と言ってくれた。
やった! ありがとう!
それがティボーさんとの出会いだった。

 彼は英語を話せた。といってもスキルは俺と同程度だ。ブタペストで買った辞書が2人の間を何回も往復した。時に俺は英和辞書も見つつの会話。わかったことは、彼は高校の国語教師で、寮の舎監を夫婦でやっていること、新婚であること。妻も教師であること。そしてハンガリー語でありがとうは「ケッセナム」。とても大事な言葉を教えてもらった。
こちらは食品の技術者で加工油脂メーカーに勤めていることや、ホルトバージに行こうとしていることなどを話した。先程の口ヒゲはなんと学生だった。寮長というのか、学生のリーダーである。高校生のクセに口ヒゲなんか生やすなやあっ! と一言ツッコミを入れたいのだが、これから戴く一宿の恩義を考えやめておいた。


それからは忙しかった。授業を終えた先生たちが次々にやってくる。数学、理科、音楽・・・
皆、突然現れた日本人が珍しくてしょうがないんだ。
つまり、俺は観光旅行に来たのだが、今は完全に観光サレテイル状態なんである。初めて会う日本人が俺。彼らにとって今後は、日本人≒俺のイメージ。責任重大かもしれぬ。
学生達も同様だ。次々といろんな質問がくる。日本に対して悪印象を持っている人はいないようだ。これは日本の諸先輩方のおかげなのだ。感謝すべきことだ。
校長先生にはちょっと緊張した。言葉は分からないが、ティボーさんが事情を説明し交渉してくれているのは分かる。了承された。校長先生と握手をする。そして、また質問・・・


そしてティボーさんは俺を連れて役場に行き、外国人が泊まることを届けた。
社会主義国なのだった。俺は彼の個人的な客という扱いになったという。
自分だったら、みず知らずの外国人から泊めてくれと言われて、すぐOKするだろうか? 相当警戒する筈だ。自転車旅行だから良かった? いやいやこの人、相当人間がデカイよ。


 それから彼の妻エリザベートに会い、レストランで夕食をごちそうになった。食事に来ている人々からも大注目を浴びる。もう状況に慣れたので「どうぞ見てください、私がウワサの日本人です。」という気持ちだ。ティボーさんから提案があった。夜中にメーデーツリーを学生達と取りに行く、シークレットだけど一緒に行くか? もちろん行きますとも! 
メーデーに、クリスマスのようにツリーを立てて祝うなんて経験は日本じゃできない。

寮に帰り、「その時刻」まで学生も交えいろんな話をした。ホルトバージまでの180キロ、自転車で行くのにふさわしいルートを話し合って教えてくれた。またお互いの国の歴史や文化など・・・彼らは色々問題もあるけれどといいつつ、自分の国に誇りを持っている。素直にかっこいいと思えた。ティボーとエリザベスはブダペストに行ったら泊まれるようにと、友人の住所を教えてくれ、紹介状を書いてくれた。


夜10時、いよいよツリーを取りに出発だ。総勢約10名。ワイワイと騒々しく完全にピクニック状態である。どこが「シークレット」やねん! 突っ込みは忘れずに心の中でいれていた。街はずれの森に到着すると、急に静かに!という指示が出て、皆が神妙な顔つきになった。今さら遅いっちゅーの。そうっと木を見定めてゆく。ティボーさんがこれにしようと決めた木は、4メートル以上ある“大木”だった。
びっくりした。そんなデカイものを考えていなかったし、勝手に樅の木のような形を想像していたから。こんなの勝手に取ってきて「シークレット」じゃすまないだろう。大体、天井につかえて部屋に入らないぞ。
頭の中はギモンだらけだが、ヨソモノは黙って作業した。まあ、そのうち分かるやろ。
2人挽きノコギリで切って倒し、皆で担いで寮に帰る。10人で担いでも重い。そら人数必要だわ。帰ってきてもうひとつ納得がいった。部屋の中ではなかった、吹抜けになっている階段に立てたのだ。色とりどりの紙テープで飾りつけ「ビューティフル」とか、皆、ご満悦で言っている。俺にはそんなにきれいに見えないけどー。とても楽しかったので。
「ベリーグッド!」


 真夜中に就寝。長かった一日目を振り返った。上がったり下がったり・・本当に忙しかった。だが素晴らしい経験ができた。列車のオジサンにも感謝せねばなるまい。彼がいなければこの街に来る事はなく、この出会いはなかった。かなり興奮しているので寝付けないかと思っていたが、身体は正直で、あっという間に熟睡していた。

 翌朝、出発の時。
学生達も見送ってくれた。「ケッセナム!」 感謝の気持ちで一杯だ。
エリザベートは弁当を渡してくれた。手を振って自転車で走り出す。対向車がきて、自分が道の左側を走っていることに気づく。危ないあぶない。この国は右側通行だ。
 街を出てしばらく走ると、地平線まで見渡せる風景が広がった。
今日も快晴。気分がいい。皆が昨晩考えてくれたルートは分かりやすく、交通量が少なく、美しい風景の道。アップダウンはない。これなら180キロも楽勝かな。

「犬も歩けば棒にあたる」「渡る世間に鬼はなし」そんな言葉が頭に浮かぶ。自分から飛び込んだからこそ、幸運が開けたのだ−当時はそう考えていた。
今思えば、大バカ勘違い野郎である。
誤算はあった。風だ。かなり強い。一所懸命漕いでもスピードは25キロどまり。
実際、防風林や小さな村に入ると、とたんに30キロ以上をメーターが表示する。
しかしそれはあっという間に終わり、また、さえぎるもののない大平原が続く。
そして乾燥した気候。すぐに喉が渇く。まあ、日が落ちるまでに着けばよいのだ。
途中の村のバーや井戸で水を補給しつつ、戴いた弁当を食べながらマイペースで進んだ。
とても充実感のあるサイクリングだ。

ホルトバージに近づくと風景はますます田舎になった。小川一面に白い鳥が溢れているのを発見。凄い数のガチョウの群れだった。フォアグラはハンガリー名産のひとつである。
写真に撮ってあるけど、解説しないと絶対分かってもらえない風景だ。そして馬の放牧。


5時前にはホルトバージに着いた。本当に田舎だが観光地らしく土産物屋もある。宿をとり、近くのレストランでゆっくり食事。帰りの夜道。大きな豚が一人で散歩していた。

翌日、自転車で周囲をポタリングして大平原をもう一度楽しんでから列車でブタペストに戻った。ティボーさんの友人は、突然来訪した日本人に戸惑いながらも、一晩快く泊めてくれた。その友人の家を探している途中、元気な高校生ゾルト君に出会い、意気投合して住所を交換した。
その後は安ホテルに滞在しゲレルトの丘や漁夫の砦、セイチェーニ公園の温泉など、ブタペストの定番観光をした。もちろん名物料理グヤーシュ(パプリカのスープ)やフォアグラを食べることも忘れなかった。
感謝と充実した気持ちで帰途の飛行機に乗った時、もうひとつの出会いが待っていた。

乗客の中に、東南アジア系の女の子が2人いたのだ。
並んだ順番も近かったが、俺はわざと彼女たちの隣に座った。顔立ちからするとフィリピンかインドネシア人でないかと推測していた。
なんで? ハンガリーにいるんだろう。訳を知りたかった。不躾だが、早速質問した。
「どこから来たの?」
カンプチア
一瞬分からなかった。が次の瞬間。理解した。カンボジアの人だ!
頭の中でジョンレノンのイマジンが流れ始めた。
俺はその頃インドシナに興味があって、一ノ瀬泰造の「地雷を踏んだらサヨウナラ」や近藤鉱一の著作などを随分読んでいた。映画「キリングフィールド」も見ていた。クメールルージュによる大虐殺で100万人以上の人々が、同じ国の人間に殺されてしまった国。
当時はクメールルージュを倒した社会主義政権の時代。まだ内戦は一部で続いていた。
彼女たちは姉妹でモスクワの医学生だった。ブダペストには知人を訪ねていたという。
姉のレイビイが英語、妹のレビンがフランス語担当。俺はもっぱらレイビイと話した。

「医者になるの。私の国のためよ。」
そう言った彼女の眼を、20年以上経った今でも。俺ははっきりと憶えている。
きっとこれからも忘れることはないと思う。
日本でも、かつて維新や戦争に向かった若者はこんな眼をしていたのだろうか。
当時、俺は24歳。レイビイは20歳。20歳にして自分の国の人達の為に役立とうと決意し、努力している人。と、自分との差。旅の終わりに、強烈なストレートパンチをもらった。

この旅には、結構、後日談がある。
 ひとつは、チェルノブイリ原発の爆発だ。モスクワからの乗客は成田でガイガーカウンターを当てられていた。後年胃ガンになった時、その放射能を浴びたせいかもと、考えたりした。
 カンボジアのレイビイとはその後5年程文通していたが、住所が変わったのか、音信不通になってしまった。祖国で今も医者を続けていると勝手に考えている。
 ティボーさんとの付き合いは続いている。91年には新婚旅行で、妻と二人で訪れた。さすがにレンタカーの旅にしたが。彼ら家族には3歳の娘と1歳の息子が加わっていた。
2007年。娘はブダペストの大学生となり、日本語と日本文化を学び始めたそうだ。
それを聞いた時は嬉しかった。
彼女が日本に興味を持ったのは、まさに俺たち夫婦の訪問が理由だろうから。
また会う機会が来るに違いない。今度は日本で会えれば嬉しいと思っている。

了。〈2007/5/5〉